立派な大名、今川義元!ちゃんと評価する流れでその歴史や功績をゆるりと解説!

立派な大名、今川義元!ちゃんと評価する流れでその歴史や功績をゆるりと解説!

今川義元の歴史や功績をゆるりと解説!

今川義元って『織田信長に負けた人』だとか『公家っぽい人』だとか、一般的にはこんなイメージしかないかもしれない。


 

義元の歴史だとかどんな事してきた人だとか、あまり掘り下げられる事がないと思うので、今回はそういった所をゆるりとまとめてみたわよーっ!!

 

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なんで公家っぽいの?今川義元の出自とは??

 

お歯黒をしているだとか、蹴鞠が好きだとか、マロ眉だとか、何かと公家かぶれなイメージがある今川義元…。

 

戦国武将なのに高貴な存在ぶっちゃって…と思うかもしれないけど、実は今川家は将軍・足利家の分家である吉良家の分家なので、とても格式高いお家柄なんですね。

 

もし足利家が絶えてしまった時は吉良家の者が将軍の地位につく。

 

さらにもし、吉良家が絶えてしまった時は今川家の者が将軍の地位につく。

 

…とまで言われていたほどのポジションにあったので、今川義元は公家ぶっちゃっても全然問題ない高貴なお方なのであります。

 

しかも今川義元の母・寿桂尼(じゅけいに)が公家出身なので、なおのこと義元は公家文化に触れる機会も多かったと思われます。

 

 

戦国時代に突入する前から今川家は駿河・遠江を守護する大名家だったし、下剋上で成り上がった者どもとは格が違うのだ。


 

このように恵まれた家元に生まれ、後に『海道一の弓取り』と呼ばれる大名になる今川義元ですが、

 

実は義元は五男なのでもともと今川家の当主になる予定はなく、4歳の頃には出家させられ修行にいそしむ日々を送っておりました。

 

しかし、1536年に義元の兄・氏輝とその下の兄・彦五郎が急死した事で、義元にも今川家当主となるチャンスが巡ってきます。

※この頃、すでに兄・氏輝が今川家当主だった。

 

今川義元は五男だけど正室の息子、母親の強い希望により跡継ぎに推されるのですが、

 

三男・恵探(えたん:側室の子)を支持する家臣がこれを許さず、武力による跡継ぎ争いが勃発してしまいました。

 

『花倉の乱』と呼ばれるこの争いに勝利したのは義元サイド、相模の北条氏綱からの支援もありました。

 

追い込まれた恵探は自刃し、今川義元は無事に当主の座をゲットしたのであります。

 

 

五男なのに17歳で当主に!

人生何があるかわからないね〜。


 

戦国時代は大変!今川義元をとりまく大名達とトラブル

 

戦国時代初期、今川氏は甲斐の武田氏と敵対関係にあったのですが、義元は当主になってすぐに甲斐の武田信虎と和睦を結び、信虎の娘を正室に迎えました。

※信虎は武田信玄の父。信玄の姉が義元の嫁。

 

 

下剋上ブームで世の中荒れてるし、近隣の大名とは仲良くしとかないとね〜。


 

よかれと思って和睦した義元ですが、武田氏と敵対関係にある北条氏綱がこれを聞いて激怒してしまいます。

 

北条氏綱

 

ワシの嫌いな武田と仲良くするんだ?

北条と今川はズッ友だと思ってたのにヒドイ…もう知らない。


 

 

そんな…悪気はないのに(; ・`д・´)


 

今川を見限った北条氏綱は駿河へと侵攻を開始しました。

 

 

ヤバ〜。このタイミングで北条が敵になるのはキツイ。


 

この時期、今川家はまだ跡継ぎ争いの尾を引いており、恵探派の家臣達の離反や反乱によって家臣団の統率が上手くとれていない状態でした。

 

そんなグダグダな状態で北条氏に挑む事になってので、義元はこれに上手く対応できず駿河の一部(河東)を奪われてしまいます。

 

そしてさらにこの時期、尾張の織田信秀が勢力拡大に燃えて三河へと侵攻を開始。

※織田信秀…信長の父。東尾張の小大名。

 

 

この大変な時になんたる迷惑な!

小物のくせに生意気っ!!


 

今川義元はこちらにも対応せざるを得ず、しばらく苦しい時期が続く事になります。

 

 

東に北条、西に織田…敵に挟まれて大変!

他国の協力を得ないとコリャ無理ね。


 

今川義元は北条氏と敵対関係にあった上野の大名・上杉憲政と同盟を結びました。

 

そして今川は西から駿河へ、上杉は東から武蔵へ…といった感じで別方向からそれぞれの目的地に攻め込みました。

 

しかも今川義元は武田から援軍を送ってもらっています。

 

 

コリャ敵わんわ。

土地返すから和睦して下さい。


 

 

ありがたや…こちらとしてもそれが一番助かる。


 

北条氏康は今川義元から奪った河東を返す事を条件に和睦を結んでもらい、この窮地を脱しました。

そしてその後しばらくは上杉憲政との戦に集中する事になります。

 

 

上杉さんには悪いけど、これで私は織田との戦に集中できる…!


 

ちなみに、上杉憲政は1552年に北条氏康に敗れて越後に亡命します。

この上杉憲政を助けたのが長尾景虎、後の上杉謙信であります。

 

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織田信長が台頭する前の織田家と今川家はこんな感じで対立

 

今川義元が当主となる前…、

 

三河は松平氏の支配するところにあったのですが、お家騒動や織田氏の侵攻によりその勢いは衰えつつありました。

 

 

そして織田につかないと織田に攻められるし、今川につかないと今川に攻められるという板挟み状態。可哀想。


 

松平家当主・広忠は今川義元から援助を受けることで織田の侵攻を防いでいたのですが、

 

織田の勢いが増すにつれ、織田を支持し、松平家から離れていった家臣達もいたので松平広忠はますます窮地に立たされる事になります。

 

松平広忠

 

いよいよ松平家がヤバい!
義元様お助けください(;_;)


 

 

いいんだけどさ、そろそろこっちも見返りが欲しいわけよ。

君の跡継ぎ息子、こちらに渡してもらおうか?


 

今川義元はこれを機に、松平広忠の嫡男・竹千代(後の徳川家康)を人質によこすよう要求しました。

 

 

竹千代がこちらにくれば松平家は織田に降る事はあるまいて。

三河勢を確実にこちらに取り込むことができるのだ。


 

1549年、めでたく竹千代は今川家の人質に!

 

…なるはずだったのですが、竹千代の護送を任されていた松平家家臣・戸田康光が、裏切って織田家に竹千代を売ってしまいました。

 

 

これには義元も激おこ。

すぐさま居城を攻めて戸田一族を滅ぼした。


 

織田信秀は竹千代を盾に松平広忠を脅してきますが、広忠はこれに屈さず。

今川義元と共に戦う意思を見せました。

 

その後起こった戦でも、今川・松平勢が勝利をおさめます。

 

そして間も無くして松平広忠が死去。

三河は領主不在の不安定な状態になってしまいました。

 

しかし、これは義元にとっては大チャンス!

 

義元はすばやく松平家の本拠地・岡崎城に今川家家臣を送り込み、松平の領土を直接今川の支配下に置きました。

 

 

強引なやり方だけど、立場の弱い三河の者どもは誰も私に文句など言えないのである。


 

これにより、松平広忠に従っていた武将達は今川義元の直接の配下となったわけです。

 

さらにその後、今川義元の家臣が織田の支城となっていた三河の安祥城を落とし、城主の織田信広を捕獲しました。

※織田信広…信長の腹違いの兄。

 

そして

 

 

信広返すから竹千代返して。


 

と人質交換を行い、竹千代を奪還しました。

 

これにより、三河にはびこる織田勢はいなくなったし、松平家を完璧に取り込むことができたしで、今川義元は気持ちよく三河をゲットしたのであります。

 

これが1549年頃、当主となって13年目の出来事です。

 

駿河・遠江・三河の三ヶ国を支配下に置いた今川義元、その石高は100万石ほどだったと言われております。

 

 

この当時、今川家は日本トップクラスの大勢力だったんだぞ。


 

そしてこの2年後に織田信秀が死去、信長が織田家の当主になります。

 

この後しばらく、織田家ではアンチ信長派の家臣達によるクーデターが起こるなどしてグダグダな時期が続くことになるのですが、

 

今川義元はその隙をついて尾張の一部をちゃっかり手に入れるなど、着々と勢力を拡大させていったのでした。

 

今川と北条と武田でウィンウィンウィンの三国同盟

 

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1554年、今川義元、武田信玄、北条氏康の間で三国同盟が結ばれました。

 

この三国同盟では、

 

今川義元の娘と武田信玄の長男・武田義信が結婚
武田信玄の娘と北条氏康の次男・北条氏政が結婚
北条氏康の娘と今川義元の長男・今川氏真が結婚

 

↑こんな感じで婚姻関係が結ばれ、三者それぞれに強い結びつきができたのであります。

 

この三国同盟を結ぶメリットは、

 

今川のメリット

武田氏と北条氏に怯える事なく尾張の攻略に集中できる。

 

武田のメリット

同じく背後の北条氏と今川氏から攻められる心配がなくなるので、信濃の攻略に集中できる。

 

北条のメリット

同じく武田氏と今川氏に怯える事なく、関東の攻略に集中できる。

 

といったものがあります。

 

 

上の地図には『上杉』って書いてるけど、この頃私はまだ『長尾景虎』と名乗っていたよ。
ややこしくてゴメンね。

ちなみに私は武田と北条、どちらとも戦をする事になるので大変!


 

三者にとってウィンウィンなこの同盟が実現した背景には、今川義元の家臣・太原雪斎(たいげんせっさい)の積極的な働きがあったと言われております。

 

 

雪斎は今川家の超有能な軍師!

竹千代の人質交換も雪斎のアイディアだったのよ。


 

この三国同盟は今川義元の死後、武田信玄が今川領へ攻め込んだ事により崩壊する事になるのですが、

 

同盟を結んでいる間は間違いなく、メリットにある通りそれぞれがそれぞれの敵に集中できたので有意義なものでありました。

 

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そうだ、京都へ行こう!でまさかの桶狭間

 

三国同盟を結んでから6年後、今川義元はかねてよりの望みであった上洛に踏み切ります。

 

今川義元は

 

 

上洛ついでに尾張をちゃちゃっといただいていくわよ!


 

てな感じで尾張に侵攻するのですが、油断しているところを織田信長に奇襲され討ち死にしてしまいます。

 

 

そう、あの有名な桶狭間の戦い…!


 

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