武田信玄と上杉謙信の関係は?川中島の戦いをわかりやすく解説!

武田信玄と上杉謙信の関係は?川中島の戦いをわかりやすく解説!

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武田信玄と上杉謙信、織田信長と仲悪い?どんな関係?

上杉謙信といえば武田信玄。

武田信玄といえば上杉謙信。

そんな二人といえば川中島の戦い!


 

戦国時代とかあんまり知らない。って人でもなぜかこの2人がライバルであり、セットで語られるのは知ってたりするわよね。

 

実際、上杉謙信と武田信玄らどのような関係だったのか?なぜ戦っていたのか?

・・・ここでは二人の戦の馴れ初め、敵対関係、川中島の戦いは最終的にどうなったのか、などをゆるりと解説しているわよーっ!

 

ついでに気になる織田信長と上杉謙信の関係もチェケラ~!

 

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武田信玄と上杉謙信の関係は?2人は仲が悪い?

 

まず・・・

武田信玄と上杉謙信の性格、戦国時代を生きるスタンスは真逆だったりします。

 

武田信玄はギラッギラの野心家。

己の野望の為には父や息子にも容赦なく牙を剥きますし、他国との同盟を裏切ったり騙したりは平気でやってのけます。

 

武田信玄といえば知名度抜群で人気の高い武将の一人であり、強い!カッコイイ!戦国時代の英雄!といったイメージもあるかもしれませんが…

 

実はそこそこかなり卑怯だったり悪かったりします。

 

一方、上杉謙信は

 

 

敵に攻められて困ってる!

助けて下さい!


 

と頼ってくる者がいれば

 

 

私がなんとかいたしましょう!


 

と助けてくれる、正統派の正義の味方。

 

将軍さえも下剋上の対象とされ、大名達がその座を奪ってやろうとギラついてる戦国時代に上杉謙信はあくまで将軍に仕える大名という立場を貫き、敵国と戦っていた、いうなれば優等生でありました。

 

 

ちなみに信玄は私の8歳ほど歳上だよ。


 

そんな二人が戦ったのが信濃の川中島…。

 

武田信玄はもともと甲斐一国の大名でしたが、領土拡大の為に積極的に信濃へ侵攻しておりました。

 

1551年…

武田信玄の度重なる侵攻により、北信濃の国人・村上義清も土地を追われることとなってしまいます。

 

そしてその村上義清が助けを求めたのが、信濃に隣接する越後の大名・上杉謙信でした。

 

 

武田信玄、なんとも勝手で悪い奴だ!

私が信濃の土地を取り戻してあげる!


 

このような事があったので上杉謙信が信濃へ出兵し、武田信玄と川中島で戦をすることになったのであります。

 

武田信玄的には調子よく信濃を攻略してるところ、越後から強者がやってきたので

 

 

お前関係ないやん。

部外者入ってくんなし。


 

てな感じで迷惑だった事でしょう。

 

 

この時点で関係ないとはいっても、信濃に隣接する越後の平和も脅かされてるわけですしね。


 

5回も川中島で戦った!謙信と信玄に芽生えたのは友情?

 

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川中島の戦いは1553年~1564年の間に5回も行われております。

 

ザーッと、戦の流れを簡単にみていきましょう!

 

第一回・川中島の戦い

1553年、上杉謙信が村上義清のSOSに応え、信濃に攻め入り武田軍の守る城を落としていく。

 

そして川中島のあたりで武田信玄と上杉謙信は陣を構える。

 

お互いの様子をうかがい、小競り合いをする程度で第一回目の戦は終わった。

ハッキリとした決着はつかなかった。

 

第二回・川中島の戦い

 

第一回目の戦の後、上杉謙信は将軍と謁見する為に京へ上る。

 

それを知った武田信玄は

 

 

今がチャンス!


 

と、また信濃の川中島あたりに侵攻を開始した。

 

越後に戻り、武田の動きを知った謙信は急いで川中島に出陣。

睨み合いや小競り合いが何ヶ月と続く。

 

 

長引いてダレてきたし兵糧の調達も大変だし…。

そろそろ戦終わらせたいなぁ~。


 

と困った武田信玄が、今川義元に仲介を頼み和睦をもって戦を終わらす事に・・・

 

 

信玄さんが仲直りしたいってさ。


 

 

信玄が奪った信濃の地を、元の武将達に返してくれるなら和睦してもいいよ!


 

と上杉謙信が条件を提示、

 

 

OK!

元の領主達に返します!


 

とのことで戦は平和的に終結することとなった。

 

第三回・川中島の戦い

 

1556年、上杉謙信が寺にこもった。という噂を聞いた武田信玄が

 

 

今がチャンス!


 

とのことで、また信濃の川中島あたりに侵攻を開始した。

 

 

和睦の約束はなんだったの?!

寺で信仰している場合じゃないっ!!


 

武田信玄の動きを知った謙信は急いで川中島へ出陣。

 

…するのだが、第三回目の川中島の戦いで武田信玄は動かざること山の如しを発動。

 

 

ん~、敵に動きナシ。

無理に攻めてもいい事ないしなぁ…。


 

戦にならないので、仕方なく上杉謙信は越後に兵を引き上げた。

 

第四回・川中島の戦い

 

1561年、上杉謙信が関東の北条氏と戦をしている間に

 

 

今がチャンス!


 

と、武田信玄が信濃の川中島に城(海津城)を築いた。

 

 

約束破ってまた勝手な事を!

許さないよ!


 

これを聞いた謙信はまたまた川中島へ出陣、海津城を見渡せるように、妻女(さいじょ)山に陣をはった。

 

両者睨み合いが続く中、先に動いたのが武田信玄。

 

武田家家臣・山本勘助が考案したキツツキ戦法という作戦を用いて、上杉軍に挟み撃ちの奇襲をかけることにした。

 

軍を分けて一隊が妻女山に奇襲をかけ、驚いて逃げる上杉軍をもう一隊が退路となるであろう八幡原で待ち伏せし、殲滅する…

 

という作戦である。

 

ひっそりと武田軍(馬場信春ら)1万2000がひっそりと妻女山へ向かい…

 

武田信玄率いる8000が八幡原へと向かい、上杉軍を叩くべくスタンバイ…

 

 

完璧な策!

上杉軍のみんな、ビックリするだろうなぁ~。


 

しかし、逆にその動きを察知した上杉軍が夜の闇と霧に紛れてこっそりと進軍。

明くる朝、八幡原にスタンバイしていた武田軍に奇襲をかけた。

 

最初は上杉軍が優位に立っていたが、妻女山にいた馬場信春らの軍勢が現場に駆けつけたことで立場が逆転、上杉軍はやむなく撤退することとなった。

 

第四回目の川中島の戦いは、これまでにないほど両軍が激しくぶつかりあい、それぞれ被害も大きかった。

 

川中島の戦い

 

両軍ボロボロ、どちらが勝ったとも負けたとも言えない戦となった。

 

 

ちなみに第四回の戦では、謙信と信玄の一騎打ちがあったと伝えられているよ。


 

第五回・川中島の戦い

 

1564年、またまた川中島で謙信と信玄は対峙。

 

しかし、これといったドンパチをすることなく終了。

 

上杉謙信と武田信玄はこれ以降戦うことがなかった。

 

 

ほぼほぼ信玄が原因で戦が起こってるよね。

全然約束守らないんだから。笑


 

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上杉謙信、武田信玄に塩を送る

 

川中島の戦いで決着つかず…。

 

この後、武田信玄は同盟相手の今川氏を裏切った事で、甲斐への塩の輸出を禁止されるという、地味に深刻な経済制裁を受けていました。

 

 

貴重なミネラル源が~。

死ぬほど汗かく武士にとっては死活問題だよぅ。


 

これを救ったのが上杉謙信。

世に有名な『敵に塩を送る』であります。

 

このエピソードにより、

 

 

武田信玄は敵なのに、塩を送ってあげるなんてなんて優しい人なんだ!

上杉謙信は義に厚い武将だ!


 

というイメージがついてますが、実際、謙信側は普通に商売をしただけだったりします。

 

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他の国が甲斐に塩を売らなくなったぶん、越後の塩がたくさん売れるというビジネスチャンスだったわけです。

 

 

私は別に今川の言うことを聞く筋合いはないしね。

儲かるならそりゃ~売るでしょ。


 

『敵に塩を送る』の美談はただのビジネスだった…?!

 

いやしかし!

いくらビジネスチャンスでも本当に憎い敵であるなら、敵を助けるようなことはしないはず。

 

敵が窮地に立たされているのはむしろ喜ぶべき事案、戦国時代だもの。

 

武田信玄は上杉謙信との約束を破ったり、何度も信濃を攻めたり…と散々迷惑かけてるのに、なんだかんだで助けてあげているところを見るとやはり謙信は義を重んじる武将だったんだなぁ~と思います。

 

 

ホント、謙信って良い人なのよ。

平気で人を裏切るワシとは大違い。


 

巨星落つ。先に旅立ったのは信玄、その時謙信は・・・

 

1573年、武田信玄が病にて死去。

 

武田信玄の訃報を聞いた謙信は…

 

 

信玄ほどの英雄は世に二人といない。

私は生涯のライバルを失ってしまった…無念でならない。


 

と涙を流してその死を嘆いたといいます。

 

そして三日間、家臣たちに歌や舞などの娯楽を禁止したんだとか。

 

何年にもわたって戦ってきた相手ですが、上杉謙信にとって武田信玄は『憎い敵』ではなく、『強敵』とかいて『とも』と呼ぶような存在だったんですね。

 

そして武田信玄も死に間際、

 

 

何かあったら上杉謙信を頼れ。

やつは信用できる男だ。


 

と息子に遺言を残していたんだとか。

 

 

なんだかんだ、お互い尊敬していたんだね。


 

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織田信長と上杉謙信の関係はどうだったの??

 

織田信長と上杉謙信、なんか敵同士のイメージがありますが、(そんなことない?)実は割と友好な関係だったのであります。

 

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~1570年ぐらいの間だと、織田信長は今川氏、朝倉氏、斎藤氏などと戦い、

 

上杉謙信は身内の内乱や、武田氏、北条氏などと戦っておりました。

 

謙信は基本守りの姿勢で戦う人なので、他の敵に忙しくしてる中わざわざ自ら織田信長に戦を仕掛けるような事はしませんし、

 

信長も敵が多い時期が長かったし、まだこの頃は上杉氏の領地に攻め入るほどの余裕はなかったんですね。

 

 

簡単にいうと、別に織田と上杉は敵対してなかったよね。


 

 

むしろ両者とも、将軍を支えるポジションにいたのもあって友好な関係だったんだ。

贈り物とかしてたし。


 

※そもそも将軍のポジションがよくわからんって方はコチラ←を是非ご参考に。

 

将軍・足利義昭VS織田信長で壊れた友好関係

 

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将軍を支える…といっても上杉謙信と織田信長では将軍を支えるスタンスが違ったりします。

 

なんやかんやあり織田信長の協力のおかげで足利義昭は京で将軍としての地位を確立できたのですが、

 

足利義昭

 

なんか私、信長にナメられてない?

このまま信長が権力強めたら私の立場が危ういんですけど!


 

じわじわと不信感の募った足利義昭は信長討伐を決意し、近隣の大名達に協力を呼びかけました。

 

信長と同盟を結んでいた謙信ですが、ここは素直に将軍の味方につくことになります。

 

 

となると、上杉とはもう敵。

容赦しないんだぜ。


 

情勢の変化により、信長と謙信の関係に亀裂が入る事になりました。

 

しかし、

 

 

そのうち信長とも戦をすることになりそうだね。

とりあえず将軍のいる京へ行く準備をしなきゃ!


 

と思った矢先に上杉謙信が死去、信長と謙信が直接戦う事はありませんでした。

 

 

信長の家臣・柴田勝家が率いる軍勢と戦ったことがあるんだけどね。

まぁ私が勝ったよね。


 

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