風林火山を掲げる武田信玄!さすがのカリスマ性、治水工事や名言が素晴らしい

風林火山を掲げる武田信玄!さすがのカリスマ性、治水工事や名言が素晴らしい

徳川家康 ラインスタンプ

武田信玄って戦以外に何をした人なの?

武田信玄はゴリゴリの野心家で頭もキレて戦も上手!


凄く強い戦国武将なのはわかったけど、それ以外にはどんな事をしていたのでしょう・・・??

 

ここでは武田信玄の政治的な活躍や、心震わす素敵な名言、あの有名な『風林火山』についてを解説しているわよっっ!

 

 

信玄のBLネタやほのぼのエピソードも公開しちゃうぞっ!


 

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甲州法度之次第!武田信玄が作った法律

 

甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)

 

とは、五十七ヵ条からなる武田信玄が国を治める為に作った法律です。

 

国民に対しての税の決まり事
日常生活での禁止事項や注意する事
主君と家臣あり方
仲間同士での争いを禁止する

 

といった事が細かく書かれています。そして最後には、

 

 

いかなる者もこの甲州法度の法に背く事は許さない。このワシであってもだ。

 

だからもしワシに悪い所があれば遠慮なく言ってね。


 

てな感じで締めくくっております。

 

 

ちなみに甲州法度は『信玄法度(しんげんはっと)とも呼ばれることがあるよ!


 

凄まじい年月をかけて行った武田信玄の治水工事!

 

武田信玄が人生で一番、時間をかけて行った仕事が甲斐での治水工事であります。

 

甲斐を流れる釜無川(かまなしがわ)・笛吹川(ふえふきがわ)・御勅使川(みだいがわ)は、

 

大雨が降ると氾濫し、その度に土地が水に浸って田畑や人々の暮らしに大ダメージを与えていたそうです。

 

信玄はこれを救うために、川中に石を並べて水の勢いを弱めるなどの工夫をこらし、

 

さらに堤を築き、その崩れを防ぐ為に川岸に木を植えてしっかりと土台を固めました。

 

その距離、1200m!この大規模な治水工事は25年もの歳月をかけて行われました。

 

大変な作業でしたが、この治水工事のおかげで甲斐の人々は水害に悩まされる事もなくなり、国の生産性も向上したのであります。

 

 

信玄の人生をかけた大政策であり大偉業!
この時に作られた堤は『信玄堤(しんげんづつみ)と呼ばれているよー!


 

武田信玄の大切な収入源!甲州八金山!

 

甲斐での金山開発は、信玄の父・信虎の時代から行われておりましたが、信玄の時代になるとより積極的に開発が行われました。

 

黒川金山・保金山・雨畑金山・黒柱金山・御座石金山など、甲州八金山(こうしゅうはちきんざん)と呼ばれる金山があり、

 

これらの金山で発掘された金は、軍事費用に使ったり、商業の発展の為に使われていたんだとか。

 

最強、戦に強いというイメージの強い武田信玄ですが、国の統治や経済の発展などにもかなり力をいれていたんですね~!

 

 

戦力も政治も抜群!家柄も良いし経済力もある!

 

武田信玄は戦国大名No.1といってもいいくらい、全てのパラメーターが高いのだ!


 

浮気がバレた!信玄の謝罪ラブレターがなんか必死

 

衆道は武士のたしなみだったと言われるくらいBLが当たり前であった戦国武将たち・・・。

 

武田信玄にも愛する男性がいました。武田二十四将の一人、高坂昌信(こうさかまさのぶ)であります。

 

この高坂昌信、モテにモテすぎて女性から逃げ回っていたから『逃げ弾正』というアダ名がついたと言われているほどにイケメンだったんだとか・・・。

※高坂昌信は名を高坂弾正(こうさかだんじょう)と名を表記する事もある。アダ名については、戦での退却戦に強かったからそう呼ばれたとも。

 

武田信玄はこの高坂昌信にかなりお熱だったようですが、どうやら他の男性にも手を出そうとした事が昌信にバレてしまったようです。

 

なんやかんや高坂昌信が本命の武田信玄は、

 

 

弥七郎(疑惑の相手)とは何もなかったんだよ。確かにワシから声をかけたけどさ、『お腹痛いから無理』って断られたの。ホントだよ嘘じゃないよ。

 

ワシはお前と仲良くしたいのに、お前に疑われるなんて辛いよぅ。
ホント、弥七郎とは何もないから信じてね。ワシが嘘をついているならば神罰が下るはずだよぅ。


 

と、もうなんか凄い必死な謝罪ラブレターを高坂昌信に送ったのであります。

 

敵対する人間には容赦なく冷酷になれるのに惚れた人間にはめちゃくちゃ弱いっていう・・・。笑

 

 

ちなみに高坂昌信はワシの6歳歳下だよぉ


 

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『人は城、人は石垣・・・』武田信玄の名言が素敵

 

武田信玄が本拠地としていたのは躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)という館でした。
(堀に囲まれていて、貴族が住むような佇まいであったそう。)

 

意外や意外、私達が想像するTHE・城といった天守閣のあるようなお城に住んでいなかったのであります。

 

戦国時代、大名達は大きな城を築いて権力を誇示したり、城攻めに耐えうるように工夫を凝らした城造りをしていました。

 

そんな空前絶後の城ブームである戦国時代に武田信玄はそういった城を持たなかったし、持つ必要がないと考えていたんですね。

 

これについて武田信玄は、

 

 

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。


 

と名言を残しております。これは

 

 

この甲斐は大きな城。そして甲斐、武田の家を守るのはうぬら武田の人間じゃ。

 

憎み合う事をせず、互いを思いやる心を持てば武田は強くなる。我々が甲斐を守る城や石垣、堀となるのだ。


 

といったことを説いていたのであります。

 

城を建てる財力は十分にあったのに見栄を張ったり奢ったりせず、こんな事が言えちゃうのはカッコイイ・・・!

 

 

織田信長や豊臣秀吉は、屋根に金箔貼りまくったり豪華な装飾を施したり…と凄まじく派手で贅沢なお城や邸宅を建築していたんだよね。


 

なぜ『風林火山』を掲げるの??どういう意味?

 

武田信玄といえば風林火山!!

 

疾き(はやき)こと風の如く

徐か(しずか)なること林の如し

侵掠(しんりゃく)すること火の如く

動かざること山の如し

 

NHK大河ドラマのタイトルにもなっていますし、『武田信玄の事はよく知らんけど聞いたことある!』という方も多いかと思われます。

 

この風林火山って結局なんなの??という事ですが、『風林火山』は中国の兵法家・孫子(そんし)という方が書いた兵法書にある言葉です。

 

武田信玄は幼い頃から勉強熱心で、中国の学問を学んでいたといいます。

 

この孫子の兵法書は、兵法を学ぶ者にとってははずせないバイブル的なものであり、武田信玄もこれを愛読していたそうです。

 

『風林火山』と四字熟語が定着していますが、実際に武田信玄が旗印に用いたのは

 

疾如風徐如林侵

掠如火不動如山

 

と14文字の言葉であり、これは

 

 

行動する時は風のように速く!林のように静かに機会をうかがう事も大事!攻める時は火のような勢いで!動かないと決めたら山のように落ち着いてかまえるべし!


 

といった意味なのであります。

 

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野心家なのに『戦に負けてもOK!』なスタンスの武田信玄

 

武田信玄は、

 

 

勝ちは五分勝ちで良い。五分勝ちで上、七分勝ちで中、十分勝ちで下。


 

と、家臣に言っておりました。これはどういう意味かというと、

 

 

戦は毎回勝たなくていいの、勝率は五割で丁度良い!

 

五割しか勝てなかったらもっと頑張ろう!とやる気がでる!
でも七割勝ったら手を抜いてしまうだろうし、全勝したらきっと調子に乗ってしまうもの。


 

・・・といった意味なのです。
自分を戒める為の言葉ですね。

 

このように謙虚なことを言っている信玄ですが、なんだかんだで戦には強いし勝率もかなり高かったという。笑

 

 

まぁよく考えたらさ、勝率5割の人がこんな事言ってたらダサいよね。強いからこそ言えるんだよなぁ。


 

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武田信玄の最後、死因は??信玄亡き後の武田家はどうなった??

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