前田慶次の逸話!人柄、性格、自由な生き様が素敵な傾奇者とは…?

前田慶次の逸話!人柄、性格、自由な生き様が素敵な傾奇者とは…?

徳川家康 ラインスタンプ

前田慶次の奇人、変人っぷり、個性が伝わる逸話など

『傾奇者』と聞けばなんかカッコイイ感じがするけど、言い方を変えれば『面白い変なおじさん』なのが前田慶次。


 

癖の強い性格の持ち主であったであろう前田慶次、ここではそんな彼の個性が垣間見得る逸話や記録をゆるりとご紹介!

 

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そもそも傾奇者とはいかなる者の事をいうのか??

 

『傾奇者(かぶきもの)』とは派手な見た目や行動でやんちゃしたりする人の事を指す言葉であります。

 

目立ってナンボ!みたいな事ですね。

 

織田信長や前田利家なんかも若い頃は地元で有名な傾奇者だったのですが、彼らは大人になるにつれて脱・傾奇者しています。

 

しかし、前田慶次は生涯現役の傾奇者でした。

ずーっと自由奔放なのであります。

 

 

子供のような無邪気さ、変人っぷりが前田慶次の魅力なのだ。


 

前田慶次の戦の出で立ちが珍妙。これが傾奇者か

 

1600年、長谷堂の戦いにおいての前田慶次の出で立ちがなんだか凄い!

 

黒皮胴の具足猩々緋の陣羽織金泥の数珠の総に金瓢箪をつけたものを襟に掛け12のひだのついた山伏頭巾をかぶり、唐鞍を置いた松風にも山伏頭巾を覆い…といった出で立ちをしていたとの事。

※松風…慶次の愛馬

 

前田慶次

 

その姿を伝える肖像画なんかは残っていないので実際どんなものなのかは謎ですが、↑こういう事なんでしょうかね?誰か正解を教えて下さい。笑

 

一流文化人で筆まめだった前田慶次

 

前田慶次は茶華に秀で、詩歌に長じ、兵法も一流との評価をされている一流文化人あり、とても筆まめな人物でした。

 

1601年…

京都伏見に滞在していた前田慶次は主君・上杉景勝の治める地である米沢へと向かうのですが、慶次はこの道中の出来事を一日も欠かさず日記につけています。

 

 

この日記帳は『前田慶次道中日記』と名付けられているぞ。


 

京都から米沢に辿り着くのにかかった期間は約四週間。

 

この日記には日々の出来事の他、四十首もの和歌や漢詩が詠われているといいます。

 

 

マメな性格&教養のある賢い人間であった事が伺えるね~。


 

この『前田慶次道中旅日記』の内容がなかなか興味深く普通に面白いので、以下、ざっくり意訳でご紹介いたします。

 

前田慶次道中日記の内容をざっくり意訳①

 

お供をしていた高麗のパパさんが病で倒れてしまった。

致し方ないので、近場にあった竹中重門の城へパパさんを連れて行き看病を頼んだ。

 

パパさんの息子二人は米沢への旅を続ける事になった。

この子達は父と別れて辛いはずなのに声をあげて泣いたりはしなかった。

親子の別れが切なくて泣ける…。


※前田慶次はこの旅の道中、高麗(朝鮮)人の親子3人を家来として同行させていた。

 

前田慶次道中日記の内容をざっくり意訳②

 

旅の途中で一人の女性に出会った。

話しかけてみると『京にいたのを誘拐されて関東に連れてこられた』というではないか。

 

そして話していると『私が美人に生まれてしまったばかりにこんな事になってしまった』と泣きだした。

 

自分の事美人って思ってるみたいだったけど、顔でかいし化粧崩れて汚いし歯も汚いしスゲェ息臭かった。

こんな女性をさらうなんて人の好みも色々あるのね。


 

前田慶次道中日記の内容をざっくり意訳③

 

 

道中出会った祈祷師の呪文が間違っていたから指摘してあげた。

正しい呪文に直したら効き目がなくなってしまった。

迷信だ祈祷だなんて信じられたものではないね。


 

前田慶次道中日記の内容をざっくり意訳④

 

なにやら変わった様子の大きな塚を発見。

話を聞くと、関ヶ原で敗れた石田三成の亡霊を恐れて作られたものらしい。

 

藁人形に鎧を着せて太刀を持たせ、草で馬を作って金の馬鎧を前後にかけている。

そして胸元には『治部少』と書かれたものがかけられている…。


※治部少は石田三成の肩書。呼び名。

 

切ない事件やしょうもない事、石田三成亡き後の様子など色々な事が綴られています。

 

前田慶次は積極的に面白い事を発見しにいくタイプのようですね。

ささいな事をネタにする力があるし、現代にいたなら面白いブログとかエッセイ書いて有名になってそう。

 

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前田慶次の家族も困惑。とにかく自由な前田慶次

 

前田慶次には妻一人に一男三女がいたといわれております。

(家族についても謎が多く、長男の前田正虎以外、妻や娘達の名前も不明)

 

1590年頃に慶次は前田利家と仲違いして前田家を出奔するのですが、その時に慶次は妻や子供達を加賀に置いて一人で京都へ移り住んだそうです。
※息子・正虎はずっと前田家に仕えていた。娘も前田家に関わりのある武将に嫁いだとの事。

 

息子・正虎は慶次を探しまわって加賀へ戻ってくるよう説得したらしいのですが、慶次は全然いう事を聞いてくれなかったといいます。

 

その後も前田慶次は加賀へ戻ることはなく、上杉家に仕え会津に移り住みます。

 

そして1600年に起こった関ヶ原の戦いで上杉家は西軍、前田家は東軍に属していたので、慶次は家族たちと敵対関係になってしまったという…。

 

関ヶ原の戦いの後は米沢で暮らしていたし、おそらく妻や子供はずっとほったらかし。

 

前田慶次はかなりの自由人…というか破天荒?

チョイと薄情すぎる気がいたします。こんな父ちゃん嫌だ。笑

 

 

ちなみに、息子は跡継ぎがいなかったからここで慶次の家は絶えてしまったのだ。


 

名前コロコロ変えすぎ!な前田慶次

 

『前田慶次』という名前で知られている武将ですが、慶次は生涯で名前を利益、利太、利卓(とします)、利治(としはる)、利貞(としさだ)と色々名乗ってきたそうです。

(名前を変えた経緯や、その名を使っていた時期は不明らしい。)

 

そして文化人として名を名乗る時には『穀蔵院ひょっと斎(こくぞういんひょっとさい)『惚之斎(読み方不明)という、一風変わった号を使用していたといいます。

 

 

人と一緒じゃ面白くない!個性的でなきゃあね~


 

前田慶次の傾奇者&おちゃめっぷりが垣間見得る逸話など

 

前田慶次といえば『傾奇者』!

 

だいぶ癖の強い人物だったんだろうなぁ…というのが垣間見える逸話をご紹介。

 

前田慶次の逸話①とにかく慶次は目立ちたい

 

ある日の事・・・、

 

上杉家家中において『馬揃え』という騎馬のパレードが行われました。

 

自慢の愛馬を派手に飾り、自分もとびきりのおめかしをして周囲にお披露目するビッグイベントです。

 

もちろん見物人も大勢集まります。

煌びやかでナンボの馬揃えなのですが、慶次はなぜか超地味な格好でやってきました。

 

しかも牛に乗って。

地味だけど、逆に超目立っていたのであります。

 

 

えぇ~!

何で牛なの??


 

 

俺って貧乏じゃん?

馬って何かとお金かかるから牛で我慢してるの。


 

これが『傾く』というやつなんでしょうが、人と違う事している俺カッケー感がいなめません。笑

 

慶次はこの牛を馬を操るがごとく乗りこなしたそうで、見物客は大盛り上がりだったそうな。

 

前田慶次の逸話②慶次は傲慢なヤツが嫌い

 

ある所に、町野玄法という医者がいました。この町野玄法は

 

 

私は日本一の名医だ。


 

と自分を自画自賛していたらしく、世間からはあまり好かれていなかったそうです。

 

そしてある日、前田慶次はこの医者に診療を頼みました。

 

 

病気になっちゃったみたい…。

ここがこうでこんな感じで体調悪いの…。


 

町野玄法

 

それはアレですね~アレなのでお薬出しときますね。


 

 

ハイ、病気は嘘で~す。

仮病も見破れないんですかァ?

日本一の名医なのに~?アレレ~?


 

町野玄法

 

…(`;ω;´)ンググ


 

慶次は散々にこのお医者様を小馬鹿にしたのでした。

 

 

威張ったり調子に乗ってる奴が嫌いなんだよね。


 

前田慶次の逸話③お調子者の慶次に動じなかったただ一人の男

 

前田家に諸大名が集まっていた時の事…、

 

会話もはずみ、その場はとても盛り上がっておりました。

 

そこでお調子者の慶次は猿マネをして踊り、大名達の膝の上に尻をおろして座りました。

 

大名達もこれに大ウケして皆笑顔。

 

慶次は次々と大名達の膝に座ってまわるのですが、越後の大名・上杉景勝だけはどうしても膝に座る事ができませんでした。

 

 

・・・。


 

全く動じないし笑わない。

慶次は上杉景勝の凄まじい威厳に圧倒されたのでした。

 

 

(凄いオーラ!前田慶次がお仕えするべきは上杉景勝様以外にいないっ!)


 

この出会いから数年後、前田慶次は念願叶って上杉家に仕官する事になります。

 

 

景勝さんノリ悪いし不愛想で怖~い。


 

で終わらずに

 

 

この人は凄い!お仕えしたい!


 

って思えるあたり、前田慶次はただのお調子者ではない。笑

 

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