信長、秀吉が認めた蒲生氏郷!勇ましい初陣から闇深な最後までをゆるりと

信長、秀吉が認めた蒲生氏郷!勇ましい初陣から闇深な最後までをゆるりと

信長、秀吉が認めた大名、蒲生氏郷!

器量良し!人柄良し!武勇凄い!石高高い!茶の湯のプロ!野心もアリ!俳句も上手!

 

…なハイスペック武将、蒲生氏郷!


 

織田信長、豊臣秀吉と、時の天下人も実力を認めて信頼を寄せていたし、後世での評価も抜群に良し!

 

今回は蒲生氏郷の魅力を50%ほどお届けできるよう、彼の人生の歩みやカッコイイ逸話なんかをゆるりとご紹介!

残りの50%は次回…。

 

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将来有望な蒲生氏郷!人質から信長のお気に入りの家臣に!

 

蒲生家は鎌倉時代から続く名門の一族。

 

蒲生氏郷の父・賢秀(かたひで)は南近江に勢力を誇った大名・六角氏の重臣で、日野城城主を務め6万石を与えられておりました。

 

1568年にその六角氏が織田信長に攻められ滅亡すると、それにともない氏郷の父・賢秀は信長に降伏して臣従を誓います。

 

その際、忠誠の証として信長の人質となったのが、当時13歳だった蒲生氏郷です。

 

氏郷は幼い頃から非凡なるオーラを醸し出していたとのことで、織田信長は氏郷を一目見て

 

 

この子の目の輝き…只者じゃないぞ!


 

と、とても気に入って可愛がっていたというし、

 

織田家家臣・稲葉一鉄が軍談を長時間語っている時、深夜になってウトウトしだす小姓達がいる中、氏郷だけは

 

 

それでそれで?もっと聞かせて!


 

と夢中になって聞いていたとのことで、

 

稲葉一鉄

 

コイツは将来大物になるぞぉ。


 

と、織田家の面々も感心していたそうです。

 

そんな蒲生氏郷は織田家に来た翌年、父・蒲生賢秀に従いって織田信長の伊勢・大河内城攻めに参加し14歳で初陣を経験することになります。

 

蒲生賢秀

 

息子は初めての戦だから、あんまり危険な事はさせないようにしなきゃね。


 

父・賢秀は氏郷の身を心配して腕っ節の良い配下を二人、氏郷の側につけるのですが…

 

氏郷の護衛

 

若様を見失ってしまいましたァーッ(´;ω;`)!!


 

父・賢秀が采配を行っている最中に氏郷が行方不明になってしまいました。

 

 

蒲生賢秀

 

この不届きものーッ!!!!


 

父・賢秀はもちろん激怒。

配下を怒鳴り散らし、現場は騒然…!

 

しかし、

 

 

ただいま。首取ったど(^o^)


 

蒲生氏郷、皆の心配をよそに敵首ひっさげ颯爽と帰還…!

 

 

初陣なのに一人で敵に立ち向かっていったの?

頼もしい子!


 

氏郷の勇猛っぷりに感服した信長は、この武功を称えて直々に打ち鮑を与えたのでした。

 

打ち鮑はさておき…、

 

氏郷はこの後、14歳にして信長の娘(通称は冬姫)を妻に貰い受けることとなります。

 

 

人質にきてからわずか1年で、あの信長公の義理の息子になってしまった!


 

いかに蒲生氏郷が織田信長に気に入られ、将来を期待されていたかが伺えますね。

 

こうなるともはや人質にあらず。

この後、氏郷は蒲生の本拠地である近江・日野城へ戻っております。

 

そしてそれからは、いち織田家家臣として浅井・朝倉との戦や伊勢の一向一揆、武田との戦、伊賀攻め…と数々の戦に参戦したとのことです。

 

まさかの本能寺で秀吉の時代へ!蒲生氏郷、順調に出世す。

 

織田信長といえば『本能寺の変』!

 

本能寺の変が起こった時、織田家家臣達の多くは地方へ戦に出払っていたのですが、蒲生氏郷は本拠地である近江・日野城に留まっておりました。

 

そして安土城で留守番をしていた父から本能寺の一件を聞かされると、氏郷はすぐに安土城へ向かい、父と共に信長の家族を日野城へ誘導し保護しました。

 

 

明智から味方に付けば近江半国を与えると言われたけど、もちろん断った。


 

賢秀・氏郷親子は迫り来るかもしれない明智軍に対抗する為、そのまま日野城に籠城するのですが、

 

明智光秀は本能寺の変から2週間も経たないうちに、羽柴秀吉に攻められ死去。

思いのほか早く、騒動は終息したのであります。

 

 

本能寺の一連ではこれといった活躍はできなかった…。

 

次の天下は秀吉かな??


 

この後、織田家の政権を巡って羽柴秀吉と柴田勝家が対立するのですが、氏郷は早い段階で秀吉の味方についております。

 

 

先見の明、アリ!

ちなみにこの頃、家督を譲られ蒲生家当主になったぞ。


 

それからは秀吉に従い、1583年に起こった賤ヶ岳の戦いで柴田勝家派の滝川一益を攻め…、

 

1584年に徳川家康と羽柴秀吉が争った時(小牧長久手の戦い)には、敵方の武将の城を攻め落とすなどの活躍をしていております。

 

秀吉は諸勢力をねじ伏せどんどん勢いを増していき…

 

蒲生氏郷もそれにともない、伊勢・松ヶ島12万石の大名へと出世!

 

氏郷は秀吉から『羽柴』の姓を与えられるほど信頼を得、政権下において手堅いポジションをキープしておりました。

 

その後も紀州征伐、九州征伐、北条小田原攻め…と、数々の戦に参加し、秀吉の天下取りに貢献。

 

そして北条小田原攻めでは、小田原城包囲中に陣中を見回っていたところに敵に夜襲をかけられ、

 

 

自分の甲冑取りに行く時間ないわー!


 

との事で、急遽そこらへんにいた家臣の甲冑を着て、たった一人で敵の背後にまわり、次々に槍で敵兵を突き伏せていったなんていう猛将エピソードがあります。

 

 

逃げたり家臣任せにしない所が素敵でしょ?笑


 

蒲生氏郷は文武両道&人柄良し!

 

戦場では勇猛果敢な頼もしい武士となる蒲生氏郷ですが、実は茶の湯、和歌、書画に通じた一流の文化人でもありました。

 

そして氏郷は超人格者で清らかな心の持ち主であり、人望も抜群にあった模様。

 

とにかく性格の良さ、人間性の良さには定評アリ。

 

『茶道四祖伝書』という書物には『蒲生氏郷は天下一気の長い人』と記されているし、

 

蒲生氏郷のなじみの宣教師は

 

 

国中の掟を熟知する知恵者。

誰に対しても寛大な人物。


 

と記録に残しております。

 

あと宣教師の登場でお察しかもしれませんが、蒲生氏郷はキリシタン大名でした。

 

 

洗礼名は『レオン』!


 

実はとっても野心家だった?蒲生氏郷の不敵なエピソード!

 

1590年…

秀吉は奥州の伊達氏、関東の北条氏を屈服させ天下を統一!

 

秀吉は新たに大名達の領土分配・配置を行うのですが、蒲生氏郷はというと、会津に移封となり42万石を領する身分となりました。

(後にさらに加増、会津92万石の大大名となる。)

 

会津移封を告げられた後、蒲生氏郷は自分の部屋に戻ると柱にもたれて涙を流したといいます。

 

それを見た家臣は

 

家臣

 

殿が喜んでおられる…。大出世ですもんね、おめでとうございます。


 

と祝いの言葉をかけるのですが、蒲生氏郷は

 

 

違うよぅ。

政権の中枢から離れた東北に追いやられたんじゃあ天下は夢のまた夢…。

 

今までみたいに京の近くにいれたなら、まだチャンスはあったろうに。

もうそんなチャンスが二度と巡ってこないかと思うと悲しくて…(´;ω;`)


 

と答えたそうな。

 

これまで織田信長、豊臣秀吉に忠実に仕えてきた蒲生氏郷だけど、内に秘めていた野心は大きかった模様。

 

そしてこれから数年後、豊臣秀吉が甥・秀次に関白職(実質、天下人の地位)を与えた頃には…

 

家臣

 

秀吉様にもしものことがあったら、殿は秀次様に従うのですか?


 

 

(笑)。

誰があんな愚か者についていくかね。


 

家臣

 

じゃあ誰が次の天下人にふさわしいと思います?


 

 

前田利家殿だね。

 

次はワシ。


 

家臣

 

徳川家康殿についてはどうお考えで?


 

 

家康殿は人に知行を十分に与える事をしない。

天下人の器量にあらず。


 

こんなやりとりがあったそうです。

 

これらの逸話から、蒲生氏郷は自分の器量に自信を持っていただろうし、天下人に対する憧れがそこそこかなりあったように思います。

 

 

ワシ、92万石の大名だし。

可能性はあったと思うんだなぁ。


 

 

長生き大事。

待てたもん勝ちだぜ。


 

夢破れた蒲生氏郷、夢破れた伊達政宗から嫌がらせを受ける

 

天下人への夢破れ、会津・黒川城に入った蒲生氏郷…。

 

会津といえば『会津若松城』というお城が有名ですが、実はコレ、蒲生氏郷が『黒川』という地名を『若松』に変更してこう呼ばれるようになりました。

 

 

伊勢の松ヶ島に入ってから、蒲生家は右肩上がりに絶好調!


 

という事で、『松』の字は蒲生家にとって縁起のいいものだからだそうです。

 

そして『会津』と『蒲生氏郷』といえば『伊達政宗』が必ず話題にでてきます。

 

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蒲生氏郷が会津に入る前、会津は伊達政宗のものだった。

 

伊達政宗は野心の強いやんちゃ武将、何をしでかすか分からない、油断ならん要注意人物でした。

 

 

なので信頼できる氏郷を、伊達政宗の監視役として会津に置いたのよ。

あと、関東の徳川家康の抑えにもなるし。

 

(天下人たる器量の持ち主の氏郷を恐れ、遠くに追いやったとの見方もあるよ。)


 

そして政宗は秀吉が危険視した通り、

 

 

自力で手に入れた会津とられたムカツクー!


 

とのことで蒲生氏郷を暗殺しようとしたり、葛西・大崎の地で一揆を起こさせたりと色々な嫌がらせをしていたのであります。

 

 

最終的に政宗の悪事が明るみになり、政宗は一揆で荒れた葛西・大崎の地へ強制引越させられているよ。


 

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蒲生氏郷が日本の『茶の湯』の未来を救っていた…?!

 

蒲生氏郷と言えば、茶の湯のプロフェッショナルという事でも有名です。

 

かつて織田信長は、茶の湯に政治的な意味を持たせて『茶湯御政道』なる政策を施行し、特定の家臣にのみ茶の湯をたしなむ許可を与えていたのですが、

 

蒲生氏郷は早い段階で信長から茶の湯を許されておりました。

 

信長から茶の湯を許されることは、信長から一人前の武士として認められる事であり、

 

おそらく現代でいうとこの『俺、凄い資格持ってるんだぜ』といったような事だと思われます。

 

さておき、蒲生氏郷はわび茶を大成させた千利休の弟子であり、『利休七哲』の筆頭でした。

※利休七哲…千利休の優れた弟子七人衆。氏郷の他、有名どころだと細川忠興、高山右近、古田織部がいる。メンバーには諸説あるみたい。

 

千利休は秀吉の天下統一後、秀吉の怒りを買って死罪となるのですが、蒲生氏郷はこの事件の際、利休の養子・小庵(しょうあん)を会津に匿っております。

 

 

小庵が生きていたことで千家が再興され、表千家、裏千家…と今日まで茶の湯の流派が存在しているんだよ。

ワシの功績はでかい…!


 

闇が深い?謎が多い氏郷の最後とは?

 

会津にきてからおよそ5年後の1595年…

蒲生氏郷は40歳という若さで亡くなってしまいました。

 

死因は病死であるとか、暗殺されたとか諸説あるようです。

 

蒲生氏郷の器量を危険視した石田三成が、氏郷を消すよう秀吉をそそのかして家臣に暗殺させた。

 

石田三成が秀吉死後の天下を蒲生氏郷にとられないよう、直江兼続と謀って毒殺した。

 

キリスト教弾圧に物申して秀吉の怒りを買い、暗殺された。

 

秀吉が朝鮮出兵を考え始めた頃に

 

 

私にお任せを。

私一人の力で朝鮮を征服してみせます。


 

と申し出て、氏郷の未知の可能性に秀吉が警戒し始め暗殺の方向へ動いた。

 

 

…等々。

けど、暗殺説はどれもあまり根拠がないそうです。

 

 

関ヶ原の戦い以降に書かれた記録とかじゃ、ワシは何かと悪者にされがちだし。


 

 

ワシは氏郷が亡くなった時に号泣したって逸話があるよ。


 

体調を崩していたのは記録にあるとのことで、病気だったのは間違いないみたいです。

 

 

となると病死説が濃厚になってくるんだけど、なにやらその件に関しても怪しいのよ…。


 

蒲生氏郷の病気の様子が記された記録には、

 

 

秀吉の命令で9人の医者が派遣され、蒲生氏郷の病気を診断。

 

『氏郷は顔色も悪く重体である』と8人が診断するも、ただ一人、宗叔(そうしゅく)という医者は『大した病状ではない』と強く主張した。

 

宗叔は氏郷の担当医だったらしく、氏郷は最後まで彼の診断を受け、彼の処方する薬を服用していたとのこと。


 

といった事が記載されているんだとか。

 

宗叔、怪しい!

もしかして氏郷は適当な治療をされていた?

そもそも病とされた症状は毒によるものだったりして…??

 

 

ワシは92万石の大大名で、器量もあって人望もある…。

ワシの存在を疎ましく思った誰かの陰謀に巻き込まれ、死においやられたのかも?


 

蒲生氏郷の辞世の句が最高に心にグッとくる

 

40歳という若さで亡くなった蒲生氏郷、彼がこの世に残した辞世の句は

 

 

限りあれば

吹かねど花は 散るものを

心短き 春の山風

 

※花の命は限りあるもの。風が吹かずともいつかは散るのに、春の山風は短気に花を散らしてく…。


 

というものでした。

 

 

人はいつか死ぬ。

その時が急にキタ…なんと無慈悲な運命。


 

という悲しさ無念さを歌ったものですね。

さすが、和歌に通じた教養人!といった心にグッとくる、切ないながらも美しい一句であります。

 

蒲生氏郷は織田信長、豊臣秀吉と時の天下人に信頼され、その天下を支えてきた有能な大名です。

 

もっと長生きしてたら関ヶ原の戦いが起こってたかもわからないし、茶の湯の道でももっと凄い功績を残していたかもしれないですね。

 

 

惜しまれる早逝…!

まだまだ現役でゴイゴイいけたはず!


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楽しんでいただけたらイイネ!

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