毛利輝元と関ヶ原の戦い!輝元、西軍の総大将になっちゃった!

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毛利輝元と関ヶ原の戦い!輝元、西軍の総大将になっちゃった

前半記事:毛利輝元とは?信長、秀吉との関係や中国征伐の行方をゆるりと

豊臣秀吉の天下の時代、中国地方に120万石もの領地を統べていた毛利輝元!


早くから秀吉に臣従して信頼を得ていたのもあり、豊臣政権での毛利氏のポジションはそれはそれは良いものであったのよ~!

 

そう、毛利輝元は全国の大名から一目置かれる存在だったわけよ。

 

一目置かれすぎて、秀吉の死後に起こった天下分け目の大戦『関ヶ原の戦い』では総大将を任されちゃうくらいだったんだから~!

 

ということで、今回は毛利輝元の関ヶ原の戦い!のお話。

 

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天下分け目の大戦が始まりそうな予感。毛利輝元の立ち位置は?

 

1598年、豊臣秀吉が死去。

 

秀吉は

 

 

ワシの死後、国の政は五大老による合議制で方針を決めるように。

みんなで協力して秀頼を支えてやってね。


 

といった遺言を残しておりました。

 

この豊臣政権のトップ役職にあたる『五大老』には毛利輝元、徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝といった日本トップクラスの大名たちが選出されているのですが、

 

中でもぶっちぎりで力を持っていたのが徳川家康でありました。

 

家康は秀吉がいなくなったのをいいことに…

 

 

石高、経歴、カリスマ性、どれをとってもワシに敵う大名はいないんだよなぁ~。

跡継ぎの秀頼はまだ子供で何もできないし、空いた天下人の椅子に座る大チャンス到来じゃん!


 

てな感じでしれっと主導権を握り、さらに自分の権力を強めるような行動を起こしていきます。

 

そしてそんな徳川家康から何が何でも豊臣家を守ろうとしたのが、秀吉の右腕たる存在であった石田三成でありました。

 

五奉行と五大老

 

秀吉の死後、こういった武将達の関係がこじれにこじれた後に石田三成チームVS徳川家康チームの構図で『関ヶ原の戦い』が起こることになるわけですが、

 

毛利輝元はというと、秀吉の死後すぐの段階で徳川家康を危険人物と認識し、石田三成ら五奉行に協力する意思を示しておりました。

 

 

輝元は西日本で1番の大大名よ?

家康に好き勝手にされてるようじゃ毛利の名が廃るんだぜ。


 

前田利家の死で豊臣家内が崩壊。その時、輝元は…

 

1599年、五大老のメンバーの一人である前田利家が病により死去。

 

前田利家は石高こそ徳川家康に劣るものの立場の強い大名であり、家康を牽制することができる唯一の大名でありました。

 

 

キャリアも人気もあった人だし、豊臣政権の重鎮って感じの人だったよ。

他の武将達も、利家さんがいる間は大人しくしてたよね。


 

これまで徳川家康は豊臣秀吉が決めていたルールを破って勝手に大名達と婚姻関係を結んだり、領地の加増を独断で行うなどの問題を起こしていたのですが、

 

これがエスカレートして大きな争いごとに発展しなかったのも、前田利家というストッパーがいたからでした。

 

 

利家や三成に『勝手な事しちゃダメ!』って注意された時、ちゃんと謝ったわな…。

利家を敵に回すと、ワシの立場が悪くなっちゃうもん。


 

そんな前田利家がいなくなってしまったということで、石田三成はこれまで以上に徳川家康を警戒して豊臣家を支えていかなくてはならないわけですが…

 

 

ますます三成がしゃしゃりだすな!


 

 

三成が豊臣家のこと仕切るの本当嫌なんですけど!


 

 

豊臣家をクリーンにするためにも殺しちゃおうぜ。


 

 

賛成~。


 

三成を嫌う武将達に大坂の屋敷を襲撃され、それどころじゃなくなってしまいました。

 

石田三成は伏見の屋敷に逃げ隠れ、命拾いしたものの

 

 

なんか大事になってるね。

襲撃チームはワシがなだめといてあげるから、三成くんはこの騒動を収束させる為に一旦隠居したほうがいいよ。


 

いうことで、五奉行を引退して自領の近江佐和山へ帰国させられてしまいます。

 

毛利輝元は五大老の一人として中立を保って騒動を鎮めないといけない立場だったし、この内輪揉めに関しては蚊帳の外だったので表立って石田三成を助けるようなことはしませんでしたが、

 

石田三成が伏見に身を潜めている間、何気に密かに輝元と三成はコンタクトをとっていたようです。

 

 

輝元くんは家康に次ぐ120万石の大大名!

家康の豊臣家乗っ取りを阻止するには輝元くんの協力が必要不可欠なのだ。

そら私も必死でラブコールしますよ。


 

 

実権を握りたい徳川家康VSそれを阻止してクリーンな豊臣家を目指したい石田三成!

…の争いがいよいよ激化していく予感!


 

石田三成の引退でますます自由になる徳川家康。輝元どうする

 

この後、徳川家康は

 

 

周囲にどう思われようが問題ない!

だってもう誰もワシのこと止められないもーん。


 

てな感じでなりふり構わず、自分の障害となり得る大名達を弱体化させるべく行動に移りました。

 

加賀の大名・前田利長(利家の跡継ぎ)は 

 

 

ワシの殺害を企てているらしいな?!


 

との疑いをかけられ、戦を回避する為に頭を下げて徳川の下に置かれる形になってしまい…

 

慶長5年(1600年)に入り、会津の大名・上杉景勝は

 

 

戦の準備してるって噂があるけど、謀反でも起こすつもり?!


 

との疑いをかけられ、戦を回避する為に頭を…

 

 

下げんし。

謀反なんか企んでないもん。


 

下げなかったので、叛意ありとみなされて攻められることになってしまいました。

 

 

日本の平和の為、豊臣政権の転覆回避の為に反抗的な上杉を討つ!


 

 といった大義名分を掲げている以上、毛利輝元もこれに賛同せざるを得ないので協力して兵を送ることになります。

 

 

力のある大名達が続々と潰されていく…。

輝元もいつ標的にされるやら。怖いよぅ。


 

推されまくって毛利輝元が西軍の総大将に!

 

前田利長に続いて上杉景勝までが徳川家康の標的となり…

 

 

秀吉様の遺言を破り好き勝手するばかりか、罪のない大名を陥れるような事までして!

もう我慢の限界、家康を討つ!


 

石田三成はついに挙兵する決意を固めました。

 

とはいっても、

 

 

やめとけやめとけ。

徳川家康を相手に戦するってだけでも無謀なのに、三成がリーダーのチームなんて味方集まんないよ。

三成は性格に難アリで人望ないんだから。


 

仲良しの武将にこんな事を言われるぐらい、石田三成には総大将の資質がなく厳しい状況でありました。

 

しかし、打倒家康の決意は変わらない。

 

そこで石田三成らが総大将に擁立したのが…

 

 

総大将に相応しい実力、人気、カリスマ性のあるビッグな人物といえば…

 

毛利輝元くんしか考えられない!

秀吉様からの信頼も厚く、よく豊臣家に尽くしてくれてた彼が適任だ!


 

毛利輝元でありました。

 

毛利輝元は…

 

 

天下の行方を決めるであろう戦の総大将を輝元にやってほしいってー⁈


 

安国寺恵瓊(毛利家の外交僧で親秀吉派)

 

輝元様にしかできない大役ですよ!総大将やりましょうよ!

ね?

ねッ!!


 

 

ん~…

 

 

 

 

いいよ♡


 

とっても重大な事なのに、家臣らに相談することなくこの話を引き受けました。

 

そうと決まれば行動も早く、輝元は7月に6万とも言われる大軍を率いて安芸を出立し、大坂城へ入りました。

 

 

豊臣家の拠点である大坂城に入り、秀頼様を押さえている。

これだけでもこっちに正当性がある感じ?


 

 

秀頼様自身は中立の立場って事になってるんだけどね。 


 

徳川家康は上杉景勝を討つべく6月から会津方面へ進軍していたのですが、こうした石田三成チームの動きを知って会津征伐を中断。

大坂方面へと引き返しております。

 

 

それに対して石田三成チームも進軍!9月に美濃の地で両軍がぶつかり『関ヶ原の戦い』が起こるのである~。


 

 

私らのチームは西軍、徳川家康率いるチームは東軍…なんて分けられているね。


 

西軍総大将の身内が裏切り。東軍勝利の為に働いていたとは

 

毛利輝元が西軍の総大将に決まったということで、毛利一族の小早川氏と吉川氏も当然西軍につく流れになるのですが、

 

吉川家の当主であり、輝元の従兄弟でもある広家は

 

吉川広家

 

輝元が総大将?!

負けたら毛利120万はどうなるよ!?

吉川家も道連れで終了じゃん!


 

徳川家康に勝てるわけないと思っていたので、この展開に焦りに焦りました。

 

なんとかして毛利一族の未来を救いたい吉川広家は…

 

吉川広家

 

輝元は三成らに担ぎ上げられただけなんです!

三成と親しい安国寺恵瓊いるでしょう?

彼が勝手に輝元を三成チームに引き込んだみたいで…。

輝元の意志ではないんですよ、徳川方に危害を加えないようにしますのでどうか寛大な処置を!


 

 

…なるほど、それなら仕方ないよね。

OK、大きな戦力を持つ毛利が大人しくしといてくれるなら万々歳。

広家の働きに期待したいところね。


 

東軍の武将を通じて家康に懇願し、その結果、輝元の身の安全と毛利氏の所領安堵を取り付ける事に成功しました。

 

吉川広家

 

戦になった時にはなんとしてでも毛利軍の動きを封じてやるぜ。

これで西軍が戦に負けても毛利家は安泰!


 

裏切り者の一丁上がり。であります。

 

吉川広家はめちゃくちゃ秘密裏に動いていた為、輝元ほか西軍諸将はこの事に気付くことができませんでした。

 

 

一方、同じ毛利一族の秀秋は前々から裏切るんじゃないかって危険視されていたのである~。


 

 

秀秋ちゃんは一族と血の繋がりのない養子当主だし、毛利家に忠義を尽くす理由もないもんね。

三成殿のこと嫌ってたみたいだし。


 

関ヶ原の戦いは東軍の勝利。毛利一族の裏切りが勝敗をわけた

 

全国各地の大名が石田三成と徳川家康の争いに巻き込まれた結果、畿内周辺だけでなく九州や東北など各地で石田派の武将と徳川派の武将による争いが勃発しました。

 

そして9月15日には『関ヶ原の戦い』が勃発…

 

石田三成率いる西軍8万2000VS徳川家康率いる東軍7万4000という凄まじい数の大軍が美濃の関ヶ原に集結しました。

※兵の数は所説アリ。

 

関ヶ原

 

東軍総大将の徳川家康は関ヶ原の地に出陣…

 

西軍総大将の毛利輝元は終始大坂城から動かず、一族の吉川広家や毛利秀元、そして安国寺恵瓊を出陣させておりました。

 

 

サボっていたわけじゃないからね!

豊臣家の本拠地大坂を抑えておく事は、とっても重要な任務なんだから。


 

早朝、東軍の井伊直政の軍勢が西軍の宇喜多秀家の軍勢目掛けて発砲したのをきっかけに戦闘が始まると、前線ではしばらくの間、両者互角の戦いが繰り広げられました。

 

ここに南宮山に布陣している吉川広家ら毛利軍と長宗我部軍が出撃することで、敵を挟み撃ちにして西軍優位な展開に持っていく事が期待できたわけですが…

 

安国寺恵瓊

 

そろそろ出撃か!


 

吉川広家

 

まだ、時じゃない…。


 

 

何してるの?!

吉川が動いてくれなきゃ我々も前進めないんだけど!


 

吉川広家

 

いや霧が濃くて視界が悪いから、もう少し待った方がいいかなーって。


 

毛利秀元

 

戦始まってるよ?!早く前進んで!


 

吉川広家

 

今からお弁当食べるから、もう少し待って。


 

吉川広家がなんやかんや言い訳して後ろに控えてる軍勢の動きを封じ、

 

そしてこうした中で松尾山に布陣している小早川秀秋とその付近にいた脇坂、朽木、小川、赤座の軍勢合わせて1万9500が裏切って西軍に攻撃を開始したことで一気に形勢が傾き、関ヶ原の戦いは東軍の勝利により終わりました。

 

西軍の総大将を務める毛利輝元の軍勢が、全く西軍の為に機能していなかったというまさかの悲劇であります。

 

輝元はあっさり降伏。広家の裏工作もむなしく転落した毛利家

 

裏切り者たちの活躍により、たった1日で決着がついてしまった関ヶ原の戦い…

 

しかしここで西軍が負けたとはいえ、関ヶ原の戦いに参加していない西軍武将の軍勢や、関ヶ原から撤退してきた無傷の毛利軍が大坂に滞在していたので、まだ徳川家康に対抗する力は残っておりました。

 

そして

 

 

こちらには秀頼様もいる。

兵力も十分だし、大坂を舞台に家康と戦おう!


 

と主張するやる気のある武将も健在。

まだまだ西軍にも挽回のチャンスがある…

 

はずだったのですが、毛利輝元はこういった意見を全却下。

 

何の抵抗もせず、アッサリと家康に大坂城を明け渡してしまいました。

 

 

家康が輝元と揉めたくないって言ってるし、領地も安堵してくれるって言うんだもん。

ここで抵抗し続けるのは賢くないでしょ。


 

しかしその後…

 

 

あれれ~?

輝元は無理やり総大将にされたって聞いてたけど?

輝元が武将達に発行した書状がいっぱい出てきたよ?

西軍の総大将として立派に働いていたんじゃないのさ!


 

聞いていた話と違うということで、吉川広家の裏工作も空しく毛利輝元は改易、領地全没収されることが決定されてしまうのでした。

 

その一方で吉川広家は…

 

 

広家は関ヶ原で西軍に加担しなかったし、ずっとワシに忠実でいてくれたね。

その恩賞として、毛利から没収した長門・周防の二国を広家に与えよう!


 

東軍の功労者ということで、毛利を取り潰した後にその領地の一部を与えられる事になります。

 

が、

 

吉川広家

 

毛利家の為にやった事なのに、毛利家が潰されるとか本末転倒すぎる!

それで私だけが出世だなんて一族郎党に合わす顔がないわ!!


 

さすがに受け入れられなかったので、広家は必死で徳川家康に毛利家存続を懇願しました。

 

その結果、毛利輝元は周防・長門二ヵ国に厳封されるのみとなり、なんとか改易を免れることができたのでした。

 

 

およそ120万の大大名だったのに29万8000石に転落…。

三成殿や恵瓊が処刑されちゃった事を考えると、大分甘い制裁ではあるが…。


 

丸腰で降伏…からのいちゃもんつけられて改易、それを家臣の土下座で救われるとはなんとも情けない結末となってしまいました。

 

 

え…てゆうかよ、

そもそも広家がコソコソコソコソ家康と通じてないで、素早く関ヶ原で東軍に突撃かましてたら勝てとったんとちゃうんけ?!

秀秋ちゃんも裏切らんかったかもよぉ?!

 

輝元がこんなことになっちゃったの、全ッッ部広家のせいやん!!


 

※ちなみに最近じゃ、輝元は土壇場で東軍に寝返ることにしようとしてたかも。なんて言われてるらしい。

 

その後。毛利輝元は最後の最後まで毛利家の為に働いた

 

毛利家の存続が決まってすぐ、毛利輝元は出家して嫡男・秀就に家督を譲りました。

 

とはいえ、毛利家は石高が減って領国の経営が大変な時なので、輝元は変わらずに活動を行っております。

 

1603年には徳川家康が将軍に任命され江戸幕府が誕生するのですが、毛利氏はこれ以降も幕府に忠実に務めました。

 

1614年から起こった戦(大坂の陣)の時にはお家安泰の為に徳川の為に働いてるし、毛利家中に幕府の信頼を裏切るような事をする者があれば厳しく処罰しております。

 

 

徳川にとって毛利は心許せるような存在じゃないだろうからね。

嫌われて悪い扱いされないように、神経使ってたんだよ。


 

晩年にも病をおして上洛し、二代目将軍・秀忠と面会して徳川と毛利の関係が良好であるよう努めるなど毛利家の為に尽力しております。

 

そして1625年、毛利輝元は病により73歳でこの世を去りました。

 

 

徳川の時代を無事に生き残れるよう、最後の最後まで頑張ったのだ。

またいつか、徳川と張り合えるくらい毛利が強くなる日がきっとくる…!


 

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