毛利輝元とは?信長、秀吉との関係や中国征伐の行方をゆるりと

毛利輝元とは?信長、秀吉との関係や中国征伐の行方をゆるりと

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毛利輝元とは?信長、秀吉との関係や中国征伐の行方をゆるりと

戦国時代の毛利といえば、なんたって中国地方で覇権握ってた毛利元就が有名ね~!

毛利輝元は、その毛利元就のお孫さんよ~!


 

家督を継いでからは信長や秀吉と敵対してまぁ~大変だったみたい!

 

今回は毛利輝元という人物についてや、信長や秀吉との関係、戦いの行方なんかをゆるりとご紹介~。

 

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毛利輝元とは?元就との逸話や中国地方の情勢について

 

毛利輝元は安芸を本拠地とする毛利氏の当主となった人物。

 

1563年…

輝元が11歳の時に父・隆元が死去してしまったので、その後に毛利家の家督を相続しました。

 

この時点で相当勢いのあった毛利氏ですが、1565年に起こった『第二次月山富田城の戦い』で尼子氏に勝利したことで、

 

毛利勢力図

 

こんなに広い領地を支配下に置く日本屈指の大大名家となりました。

 

 

じいじの補佐があるとはいえ、この若さでこんな大名家のトップだなんてプレッシャーやばな~い?


 

毛利元就は謀略を駆使し、下剋上でのし上がった武将…

 

敵からしたら何をしでかすかわからない、油断ならないキレ者のような印象がありますが、

 

輝元に関してはそういったこの人ならやってくれるぜ的な頼もしさは終生無かった印象…

 

むしろ若い頃に関しては、1567年に

 

 

ワシ、病気だから引退したいんだけど…。


 

 

まっっったくもって思いがけない事!

輝元のパパなんか40歳になっても全部じいじに任せてたじゃないの!

輝元はまだ15歳だよ?じいじが引退したいとか言うなんてびっくりしすぎて言葉がでなーい!

 

…でもまぁ、それでもいいと思うよ。

じいじがそうするなら、輝元は毛利の名を捨てる。

どこであろうと、じいじの隠居先についていくことにするから。


 

…といったやりとりをした記録があるので、頼もしい当主どころか話にならないレベルのワガママ坊ちゃまだった時もあったようです。

 

毛利元就は 

 

 

このままじゃ輝元と義絶することになる、どうしよう。

亡くなった隆元の供養にならんし、この歳になっても隠居できないなんて…トホホー。


 

と家臣に愚痴をこぼしていたそうな。

 

 

も~ホント情けない子…。

でも、どこであってもついてきてくれるおじいちゃん子の輝元カワイイ。


 

こんな感じで元就を困らせていた輝元ですが、後に叔父の吉川元春と小早川隆景と家臣らの補佐を受け毛利家当主を無事継続しております。

 

ちなみに、1569年は前々から敵対していた九州の大友氏と豊前、筑前を巡り争っている時に尼子氏の残党が

 

 

アタシャ毛利の世なんて認めないよ!!

出雲は尼子のホームじゃい!奪還するぞ!!


 

と挙兵したり、大内氏の残党が大友氏の支援を受けて周防で挙兵したり…と大変な年でありました。

 

毛利氏はこれらのクーデターの対応に追われ、やむなく九州から撤退…

 

豊前の門司城など一部の支配をキープできた程度で、その後は織田信長の台頭で東側に気を配らなくてはいけなくなったので、九州進出の夢は叶いませんでした。

 

 

九州のことは残念だったけど、出雲や周防での戦は勝利したよ~!

大内の残党はともかく、尼子の残党はまだ諦めてないみたい…!


 

そんな感じで毛利氏が中国の支配を確立…

1571年に毛利元就が死去した後は、新たな敵に立ち向かっていくのであります。

 

毛利輝元と織田信長(秀吉)、なぜ敵対関係に?

 

中国地方に一大勢力を築いた毛利氏は、権力争いが激化する戦国時代において絶対に無視できない大きな存在となっていたわけですが、

 

一方で、尾張の小大名だった織田信長もまた下剋上により大きく成長し、将軍・足利義昭を取り込んで権力を増長させておりました。

 

そしてそんな毛利氏と織田氏は、共に将軍を支える立場にあったのもあり何気に良い関係を築いていたのですが、

 

織田信長と足利義昭が揉めて戦が起こってしまった後…

 

足利義昭

 

信長に負けて京都を追われちゃったよ。

輝元くん、幕府の再興協力してほしい!一緒に信長倒そ?


 

 

信長ねぇ…できれば揉めたくない相手なんだよなぁ…。


 

足利義昭

 

なにを!信長は影で尼子の残党を支援してる裏切り者じゃないか!

信長の魔の手が毛利のテリトリーに迫ってきてるの、感じてるでしょ?


 

 

うぇぇ…そうなの。

信用ならんしホント脅威でしかない…。


 

足利義昭

 

信長倒して幕府が復興したら、その功労者である輝元くんの株は爆上がりだよ!


 

 

確かにぃ。

 

ま、いずれ信長と戦うことになるなら将軍様の為にっていう大義名分があるほうが得だし?

やってやろうじゃないのさ。


 

絶賛逃亡中だった足利義昭に頼られ、それに応じたことで敵対することになってしまいました。

 

足利義昭が輝元を頼り備後へ亡命してきたのが1576年…

 

輝元はその後早速、毛利・小早川・村上の水軍を出撃させ、信長と戦っている摂津の本願寺へ兵糧や武器の援助を行いました。

 

そして翌年、秀吉をリーダーとした織田軍が播磨入り。

 

本格的に信長による中国征伐が開始されることになります。

 

秀吉がキタ!叔父や近隣の大名達と戦った中国征伐

 

播磨入りした秀吉は早々に上月城を攻略…

 

もともと信長の台頭により播磨の諸将の多くが織田氏に従属していたので、簡単に播磨が秀吉の手に落ちてしまいました。

 

 

播磨のお隣の大名・宇喜多直家は毛利の味方でね、上月城の戦いも協力してくれたんだけどダメだったね…。


 

しかし翌年(1578年)…

 

大物大名である毛利輝元が将軍を擁して打倒信長に乗り出したということで、播磨三木城の別所長治織田信長の家臣で摂津有岡城の荒木村重とその周辺の武将が毛利方に寝返ってくれました。

 

しかも前年落とされた上月城の奪還にも成功しております。

 

秀吉毛利中国征伐

 

 

西に毛利や宇喜多、東に別所!

播磨にいる秀吉を挟み撃ちの状況に持っていけたよ。

 

荒木村重も本願寺と同調して頑張ってくれてる!

毛利チームいい感じにノッてきた~!


 

…だったのですがその後、

 

再び本願寺を支援する為に水軍を出動させるも、織田水軍の返り討ちにあって失敗したり…

 

宇喜多直家が織田方に寝返ったり…

 

別所長治の籠る三木城、荒木村重の籠る有岡城が落城したり…

 

本願寺が信長に降伏したり…

 

毛利家家臣の守る鳥取城が落城したり…

 

と毛利方にとって不利な出来事が続いてしまいました。

 

 

宇喜多が敵になって播磨方面に行くの難しくなっちゃったし、

家臣の反乱もあって毛利領を離れるわけにいかず…で他を支援する余裕がなかった…。


 

そして1582年に入ると備中の高松城が秀吉軍に包囲されるのですが、ここでは

 

 

秀吉、だんだん毛利の本拠地に迫ってきてる!

ここいらで食い止めなきゃマジでヤバイよー!


 

ということで毛利輝元、小早川隆景、吉川元春ら毛利一族の軍勢が総出で援軍に向かっております。

 

しかし、高松城が水攻めを受けていた為、城へ近づく事ができず…

 

収拾がつかないので毛利氏が下出に出る形で和睦を結び、ひとまずピンチを脱することができました。

 

 

でも城主の清水宗治が切腹させられちゃったよ。

備中・美作・伯耆の3ヶ国も秀吉に譲ることになっちゃった。


 

信長の死でまた情勢が変化。どうなる毛利輝元

 

秀吉の軍勢が備中高松城から去り、大荒れだった織田勢との戦もひと段落。

 

…だったのですが、その後すぐにとんでもない事実が発覚いたしました。

 

なんと、備中高松城が包囲されている最中に
『本能寺の変』で織田信長が死去していた
のであります。

 

 

信長いないってわかってたら、反撃のチャンスもあったんじゃないのー?!

宗治くんだって救えたかもしれないよ?!

秀吉は知ってて輝元たちに黙ってたのかな?


 

 

でしょうね。

統率者のいなくなった織田家はこれから大変なわけだし、我々に足止め喰らうわけにいかないですから。


 

 

上手く逃げられたというわけだ。

すぐに追って秀吉を討とうって意見もでてますが?


 

 

ダメです。

相手の不幸につけこみ和睦の約束を破るなんて、不義理極まりない。

そんなのは大将のすることじゃありません。


 

各地では信長が死んだとわかって織田家の武将に反旗を翻す者もいたのですが、毛利輝元がこの騒動に便乗することはありませんでした。

 

 

サンキュー毛利。

おかげで信長様を死に追いやった明智光秀を倒す事ができて、ワシの地位は爆上がりしたよ。


 

そして翌年…

 

織田家家臣らの間に派閥ができてこれが戦にまで発展するのですが、この際、毛利輝元は

 

 

勝家倒すの協力して~!


 

 

秀吉倒すの協力して~!


 

と双方からお誘いがあったのを

 

 

どっちが勝つかわかんないし、関わらんきとましょね。


 

というアドバイスに従ってスルーすることに…。

 

『賤ヶ岳の戦い』と呼ばれるこの戦は秀吉の勝利に終わり、秀吉が織田家の実権を握る結果となりました。

 

 

毛利、味方してくれなかったなぁ。

くれるはずの領地もうやむやにされてるしマジ不信感~。


 

さらにこの翌年…

 

 

秀吉ウザ!

織田家はお前のものじゃないっつーの!

徳川家康に協力してもらって秀吉を倒してやる!


 

とのことで勃発した『小牧長久手の戦い(秀吉VS信雄・家康)』では争いの後、秀吉優位で和睦が成立…

 

織田家を下に置く形に持っていけた秀吉は、その後も朝廷から高い位を授けられるなどして益々の権力を得ました。

 

このような情勢になってきて毛利輝元は…

 

 

やっぱ領地譲るの嫌だし、ワンチャン秀吉に対抗できるかも。

 

…なんて思ってちょっと反抗的だった時期もあったけど、ここまでくると敵わないなぁ~。


 

ついに秀吉に従うことを決意しました。

 

そして1585年…

 

秀吉と正式に講和した毛利輝元は安芸、備後、周防、長門、石見、出雲、隠岐に加えて備中・伯耆の一部の領有を認められたのであります。

 

 

その石高は!なんと!

120万石を超えちゃっているのである~。


 

豊臣秀吉の時代になって毛利輝元は…

 

中国地方をめぐってズルズル続いてきた攻防も一件落着…。

 

その後、秀吉は紀州征伐、四国征伐、九州征伐、小田原攻め…と自分に反抗的な勢力を潰しにかかっているのですが、

 

毛利輝元はというと、秀吉の要請に応えて兵を出しております。

 

すっかり秀吉の頼れる大名の一人となっておりました。

 

 

ちなみに1592年には朝鮮出兵にも参加したよー!

初の海外♡


 

ちなみに四国征伐の後には、新たに小早川隆景に伊予が与えられ、

 

さらに九州征伐の後には小早川隆景が筑前・筑後に移封され、毛利一族の支配域が大きく広がりました。

 

 

隆景叔父さん、秀吉様にめっちゃ気に入られてたんだよね。

凄く優秀だから。


 

秀吉に反抗して領地を減らされたり滅亡しする大名がいる中、毛利氏は早くから秀吉に従い、天下統一事業に貢献してきました。

 

秀吉の毛利氏に対する信頼と期待は大きかったようで、秀吉は豊臣政権の中枢を担う役職俗にいう『五大老』に毛利輝元と小早川隆景の二人を任命しております。

 

 

五大老のその他メンバーは徳川家康、前田利家、宇喜多秀家!

凄い顔ぶれだぁ。


 

 

いわば秀吉様が選抜した優秀&信頼できる大名5名…

その中の2名が毛利家の人間って凄いことだよね~。


 

そして豊臣秀吉は

 

 

ワシの死後、国の政は五大老による合議制で方針を決めていってね。


 

と遺言を残しておりました。

 

秀吉は大名達が協力して政を行い、豊臣家の天下が続いていくことを望んでいたのであります。

 

しかし、その体制も長くは持ちませんでした。

 

 

秀吉様の死後、大名達が仲間割れを起こして戦に発展しちゃうの!

輝元もガッツリ巻き込まれて大変なことに~!?

 

この続きは長くなるから、また近々upするね~。


 

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