豊臣秀次は秀吉の希望!だったのになぜ最期は切腹を命じられた?

豊臣秀次は秀吉の希望!だったのになぜ最期は切腹を命じられた?

豊臣秀次は秀吉の希望!だったのになぜ最期は切腹を命じられた?

色んな出来事を乗り越えて秀吉がついに天下人に!


その秀吉の後継ぎとなった秀次は天下の豊臣家の二代目として名を残すはずだったのに、悲しい最期を迎えてしまうのよね。

 

今回は前半 豊臣秀次の戦国事情!天下人秀吉の後継ぎとなるまでをゆるりと の続き、秀次の人生の終盤をゆるりとご紹介~。

ついに豊臣秀吉が天下統一、秀次も色々と頑張っていたよ

 

四国の長宗我部氏、九州の島津氏、越後の上杉氏、東海道の徳川氏、中国の毛利氏…などの名だたる大名達が1590年までに秀吉の支配下に収まっていたのですが、

 

この状況下でも関東の北条氏は秀吉に反抗的であり、秀吉が決めた

 

 

私利私欲で戦をしてはいけませんよ~!


 

という決め事(関東奥両国惣無事令)を破って真田の領土に攻め入り、名胡桃城を強奪してしまいました。

 

結果、秀吉は総勢22万もの大軍で北条氏の本拠地を攻めることになります。

 

 

そう、俗にいう小田原征伐!

この凄まじい規模の戦で私は副将となり、先陣を務めたんだぞ。


 

そして秀次が活躍したのが山中城の戦い。

この戦で秀次は総大将となり、6万7000もの兵を引き連れわずか2時間で城を落としました。

 

 

まぁ山中城の兵は5000もいなかったみたいで…

兵力差はかなりあったんだけどね。


 

こんな感じで秀次ほか、秀吉配下の武将達は順調に北条氏の支城を撃破していきます。

 

そして追い詰められた北条氏は本拠地である小田原城を開城して降伏、関東に一大勢力を築いた北条氏は滅亡しました。

 

東北の伊達氏や最上氏も秀吉に臣従し、日本に敵ナシとなった秀吉はついに天下人たる存在となったのでした。

 

そして秀次は小田原攻めの論功行賞で尾張、北伊勢5郡を与えられ、旧領と合わせて100万石の大名となりました。

 

 

尾張の清須城にお引越ししたぞ。

かつて織田信長が住んでたお城なのだ。


 

ちなみに小田原征伐の後、秀吉の奥州仕置きに不満をもった奥州の大崎氏、葛西氏の旧家臣や領民が一揆を起こしたり、

 

九戸政実(くのへまさざね)が南部信直(秀吉に臣従してる大名)に対して反乱を起こしたりと同時期に問題が発生し、

 

 

奥州グダグダやん。

なんとかしてきて~!


 

ということで秀吉は蒲生氏郷や伊達政宗、石田三成らを出動させるのですが、ここで総大将を務めたのが秀次でした。

 

 

もちろん、これらは無事に鎮圧してるぞ。

ついに日本に平和な時代がやってきたというわけだ。


 

怒涛の展開!思わぬ速さで豊臣秀次が天下人の後継者に選ばれる

 

秀吉が天下統一を成し遂げたのはとてもハッピーな事ではありますが、

 

1591年、豊臣家を長らく支えてきた秀吉の弟・秀長と、秀吉の嫡男・鶴松が相次いで亡くなるという不幸な出来事がありました。

 

 

ワシは長い間子供に恵まれず…

待ち望んでいた我が子が3歳にもならん間に亡くなってもうた…。


 

何気に養子は沢山いる秀吉ですが、やはり実子に対する思い入れは特別。

 

豊臣家の未来を託すはずだった鶴松がいなくなってしまったとなると…

 

 

秀次…頼りにしてるよ(´;ω;)

ワシが一代で築いたこの豊臣家、立派に継いでってくれよ(´;ω;)


 

 

(血の繋がり、武将としての経験値…

気が付いたら私も叔父の養子になっていたし、後継ぎになるのに1番ふさわしい人物は…

 

私…しかいないっ!!)


 

当然の如く、秀次が後継者に選ばれるのであります。

 

そして鶴松の死から半年もたたずして、秀次は秀吉から関白の職を譲られました。

 

 

聚楽第も秀次にあげる。

ワシは隠居して伏見城に移るよ。


 

 

おぉぅ、24歳にして凄いポジションについてしまった!


 

とは言っても、実権は変わらずに秀吉が持ったままでありました。

 

そして何気に秀次は茶の湯、能などに長けた教養人であったとのことで、聚楽第に天皇や公家衆を招いてスペシャルな時間を過ごす事もあったという…。

 

これがおそらく、秀次の人生の頂点。

 

その後…

 

 

私、できちゃったみたい///


 

57歳の秀吉に子供ができるというまさかの展開で秀次の運命が大きく狂っていくことになります。

 

どうしようもない秀次と秀吉の関係。秀頼誕生で秀次の人生大狂い

 

1593年、豊臣秀吉とその側室・淀殿(茶々)の間に子供が生まれました。

 

後に豊臣秀頼と名乗ることになる男の子であります。

 

秀吉が秀頼をいずれ豊臣家の後継者に…と考えるのは当然の流れでありますが、秀頼がまだまだ子供のうちから

 

 

日本の5分の1を秀頼のものとする!

5分の4は秀次!

 

そんでいずれは秀次の娘と秀頼を結婚させるんだぁ。


 

なんてことを提案していたそうな。

 

秀次はというと、なにやら秀頼が生まれてからは心穏やかではなかったそうで持病の喘息が悪化するなど心身ともに不調をきたしていたといいます。

 

 

今後は絶対、その子が豊臣家のトップになるように動いていくよね?

私が今の地位を失うのも時間の問題?

 

今後私はどうなるのだ?

嫌だ怖い…。


 

 

後継者決めるの早まったー!

まさか自分に子供が生まれるとはね。

 

秀次、立場を失うのを恐れて秀頼に何かよからぬ事したりしないだろうな?

 

家督争いするのなんて戦国時代じゃよくある話だし…

長い付き合いの甥っ子とはいえ不安…。


 

本当の心はわからないけど、お互い疑心暗鬼になってしまうのは致し方ない状況。

 

 

(;^▽^)


 

 

(;´∀`)


 

秀頼が生まれてしばらく、表面的には良好な関係だった2人ですが、それもつかの間、だんだんと秀吉の秀次に対する態度が悪くなっていきます。

 

 

叔父はあきらかに、以前より私の発言や行動に否定的でキツい…。

政治の事に関してもそうだし…。


 

そんな秀吉に対して秀次もムッとすることがあったのでしょう。

 

秀次は家臣が

 

 

関白の職を返上し、聚楽第から退去しましょう。


 

とアドバイスしてくれたのを聞き入れず、文禄の役(朝鮮出兵)の時も

 

 

秀吉様の代わりに秀次様が出陣すべきです。

ここで動かなければ今の地位を失う事になるかもしれませんぞ。


 

と説得されたのも聞かずで、女や遊びにうつつをぬかしていたといいます。

 

 

ちょっと自暴自棄になっていたんだろうね。

結局、私は朝鮮に出陣することはなかったのである。


 

殺生関白?豊臣秀次はとんでもない悪人だった??

 

秀吉が秀次に冷たい態度を取ってしまうようになったという話ではありますが、

 

それは秀頼可愛さのあまり、ただ秀次の存在が邪魔になったから…という理由だけではなかったようです。

 

実は秀次、殺生関白なんていう不穏なあだ名をつけられるほど素行が悪かったと言われており、

 

・鉄砲の稽古と称して農民を撃ち殺した

 

・弓の稽古と称して通行人を射ち殺した

 

・巡礼往来の僧ら数百人以上を殺害した

 

・妊婦の腹を切り裂いた

 

・料理人の両腕を切断した

 

・正親町上皇の崩御による潔斎期間中(喪に服す期間)に狩りや野遊びを行った

 

・↑この期間中におめでたい事の象徴ともいえる鶴料理を出させる

 

・聖域ともいえる比叡山で狩猟を行った

 

…などなど、鬼畜の所業たる悪行を行っていたという噂があるのであります。

 

秀頼が生まれてメンタルが不安定だったとはいえ、このような素行の悪さが目立ってしまえばそりゃ、秀吉も厳しくなってしまいますね。

 

 

脚色された逸話もあると思うけどね。

勝者が敗者を悪者に仕立てるのは歴史あるあるだもんね。

 

まぁでも、こんな逸話が沢山あるという事は…

多少なりともワタクシ、問題児だったんじゃないですかね?


 

唐突にきた最期。豊臣秀次はなぜ切腹しなければならなかった?

 

秀頼誕生により秀次と秀吉の関係がこじれつつあったわけですが、この後、突如として秀次が秀吉に対して謀反を企んでいるとの疑いをかけられ、事態は最悪の方向へと向かっていきます。

 

 

鷹狩と称してお出かけして謀反の作戦を立ててる…

 

なんて噂がありますが、本当ですかね?


 

 

は?

んなわけないでしょ!!


 

 

では逆心がないことを証明してください。

誓紙を提出してくれますね?


 

 

…するけども(;`ロ´)


 

1595年、秀次は誓紙を提出して事実無根であることを主張。

 

…するのですがその後、毛利輝元が秀吉に

 

毛利輝元

 

【有事の際は秀次に忠誠を誓う】と記された書状がうちにあるんですけど…。


 

という事を密告したので

 

 

有事の際ってなんですかぁ?

何をするつもりなんですかぁ?

 

え、これは紛れもない謀反の証拠だねぇ…。


 

秀次は完全に秀吉の信頼を失ってしまいました。

 

 

待ってよ!

それ何?!知らないよ?!


 

この書状の存在自体が謎であり、デマであるとか秀次は嵌められたとか色々言われておりますが、

 

秀吉が秀次に対して不信感MAXなのはきっと紛れもない事実であり、

 

 

言い訳があるなら聞いてやろうじゃないかぃ。

秀次、でてこいや。


 

秀次は伏見城へ出頭するよう命令を受けたのでした。

 

が、秀次はこれを一度拒否しちゃいました。

 

秀次の家臣

 

やましいことがないのなら、すぐに伏見へ行くべきです。

 

もしも謀反の企みが事実であるならば……

 

やっちゃいますか。

私に一万の軍勢を預けていただければ先陣を切って戦います。


 

 

なんたる忠義者…秀次、感動。

 

しかし、それには及ばん。

私は伏見城へ行き、無実を証明して見せるぞ。


 

家臣の熱い気持ちに心動かされたか、秀次は伏見へと向かいます。

 

しかし、伏見に到着した秀次は秀吉と会うどころか伏見城へ入る事すら許されず、問答無用で高野山へ追放されてしまいました。

 

関白の職ももちろん剥奪されております。

 

 

初めからこうするつもりだったのか?

あまりにも一方的…酷い。


 

そして高野山にきて間もなく、秀次はこれまでの悪行を罪に問われ切腹を言い渡されました。

 

謀反を疑われてからここまでわずか2カ月程、あまりにも早い展開であります。

 

秀次は28歳という若さで切腹し、罪人としてこの世を去るという悲しい最期を迎えたのでした。

 

 

なんだよチクショー!!

無実だっつぅのー!!

 

って感じで私が自ら進んで自害した説もあるよ。


 

秀次だけでなく罪のない妻子まで…秀吉の徹底的な静粛が狂気すぎ

 

秀次は謀反人、そして数々の悪行を行ってきた罪人として粛清されたわけですが、

 

秀次一人が責任を取って終わり、とはいかないのが戦国時代であります。

 

秀次の家臣や親しかった武将達も殉死したり自害に追い込まれたり、処刑されたりと粛清されているし、

 

秀次の妻、子供ら三十数名も問答無用で処刑されております。

 

 

秀次の関係者を生かしておいたら秀頼ちゃんやワシに復讐するかもしれないじゃん?

不安要素は残しておくべきじゃないのよ。


 

妻子の処刑に至っては秀次の首と対面させた後に処刑、穴を掘って秀次の首と一緒に妻子の遺体を放り込むという酷い様子だったといいます。

 

遺体が埋められた場所には秀次悪逆塚と刻まれた石碑が建てられたとのことですが、裏では秀吉の方を批判する意味で畜生塚なんて呼ばれていたそうです。

 

 

秀次事件なんて呼ばれているこの一連の騒動、叔父は流石に世の武将達からドン引きされたみたいだぞ。

 

豊臣政権が長く続かなかった原因の一つとなってしまったんだって。


 

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