戦国時代の始まりから終わりまでをわかりやすく解説!

戦国時代の始まりから終わりまでをわかりやすく解説!

戦国時代の始まりから終わりまでをわかりやすく解説

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戦国時代はいつからいつまで…という定義はないんだけれど、1467年の応仁の乱から徳川家康が豊臣家を滅ぼすまでの約150年間と言われているの。


 

私達がパッと思い浮かべる戦国武将といえば織田信長や武田信玄!

彼ら有名どころの武将達が活躍するのは1550年頃からよ~!

 

…では、応仁の乱からそれまでの日本は一体どういう状況だったのでしょう??

 

ここでは織田信長・豊臣秀吉・徳川家康を中心に、日本の戦国時代の流れをできるだけ簡潔に、わかりやすく解説しているわよ~っ!

 

そもそも戦国時代とか大名とかって何?って方はこちら↑から読むのがオススメ!

 

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戦国時代の始まり!きっかけは応仁の乱!

 

1467年、応仁の乱勃発。

 

応仁の乱は、幕府官僚の細川勝元と山名宗全が、将軍・足利義政の後継者を巡って対立したのがきっかけで起こった戦であります。

※幕府官僚…将軍家に仕える最高役職

 

この後継者争いは、各地の国人達を巻き込んでの戦となり…

 

そしてその争いの波が全国各地に拡散していき、あらゆる所で戦が起こるというカオスな状況になってしまいました。

 

平和な時が続く地域もあれば、小競り合いを続ける地域があったり…

守護大名も次第に国人達を抑えられなくなっていく…。

 

争いの火種はどんどんと大きくなっていき、戦国時代と呼ばれる戦乱の世へと突入していったのであります。

 

最初の戦国大名!北条早雲の台頭で日本が変わる?!

 

1516年…

小競り合いが続くカオスな状況の中で、ついに下剋上により戦国大名へと登りつめた人物が出現します。

 

その男の名前は北条早雲。

もともとは駿河の守護大名・今川氏の食客でありました。

※食客…客としてその家で抱えてもらって働いてる人

 

北条早雲は伊豆を支配した後、相模を支配下に治めました。

 

 

戦国時代で北条といえば関東に勢力を誇った北条氏がいるのはご存じかな?

まさに、その一代目がワシなのだ。


 

応仁の乱から約50年経ち、ついに下剋上によって一国の主にまで登りつめた人物が現れた…!

 

この出来事は、世の中に凄まじい衝撃を与えた事でしょう。

 

これを皮切りに、東海地方では商人出身の斎藤道三が美濃の守護大名に変わって戦国大名になったり…

 

京都周辺では三好氏が将軍を追放して実権を握ったり…

 

中国地方ではいち国人だった毛利元就がいくつもの国を治める大名になったり…と、各地で新勢力が台頭していくことになります。

 

北条早雲の出現を機に下剋上の規模がどんどん大きくなり、いよいよ我々の想像するド派手な戦国時代に突入するのであります。

 

力が全ての戦国時代!将軍の権威は弱まってしまった

 

戦国大名の出現…

この戦乱の世に1番不安を感じていたのは、おそらく将軍家の方々でありましょう。

 

力が物を言う時代となり、それまでトップに立って大名達を従えていた将軍の立場は段々と弱くなってしまったのです。

 


※戦国時代の将軍の立場イメージ図

 

1530年頃…

将軍家に仕える官僚・細川高国が将軍・足利義稙を追放し、新たに足利義晴を将軍にたてました。

 

細川高国は義晴の威厳を盾に、権力を握ろうとしたのです。

 

しかしその後、細川高国は家臣の三好元長に攻められ自害に追い込まれてしまいます。

 

味方を失った将軍・義晴は近江へ逃亡。

三好氏が見事に下剋上を果たし、京で実権を握ることになったのであります。

 

その後、新たに足利義輝が将軍となるも、三好氏の家臣らに襲撃され死亡…。

 

さらに後、足利義昭が将軍になるも織田信長によって立場を追われる事になり、1573年に室町幕府は滅亡してしまいました。

 

戦国時代、下剋上による下剋上で将軍は裏切られたり、命を狙われたり、利用されたり、追放されたり…と、大名達の権力争いに振り回されて散々な目にあっていたのであります。

 

これぞ戦国時代!ワクワク。織田信長が出現してから

 

尾張一国の小大名だった織田信長が、桶狭間の戦いで今川義元を破ったのが1560年。

 

ここから織田信長はメキメキと頭角を現し、勢力を拡大させていきます。

 

そしてこの頃、京で実権を握っていたのは三好氏。

 

上に書いたように三好氏は足利義輝を殺害するなどし、やりたい放題で権力を握っておりました。

 

しかしその後、三好家臣の松永久秀が三好家の実権を握っていった事により、段々と三好氏の勢いが衰えていくことになります。

 


目まぐるしく変化する戦国時代の情勢。もはや誰も信じられたもんじゃない。

 

一方で勢いづく織田信長は美濃を平定し、足利義昭を将軍に奉じて京へ入りました。

 

信長は将軍・足利義昭の名を盾にして、自分が天下人であるかのように権力を強めていったのであります。

 

足利義昭はそんな信長が凄く気に食わなかったので…

 

 

信長は私を利用して京でのさばっている!

 

私が将軍になれたのは信長のおかげだけど、私の事をないがしろにするのは許せない!


 

といった感じで大名達(浅井氏、朝倉氏、武田氏、本願寺など)と手を組み、打倒織田信長を掲げて挙兵しました。

 


↑俗に言う『信長包囲網』

 

回は敵だらけ…
織田信長はかなり厳しい状況に陥ってしまいました。

 

が、信長はこれをことごとく撃破。

苦戦することもあったけど、見事に反織田勢を一掃してやりました。

 

信長は足利義昭を許すことなく京から追放して室町幕府は滅亡…。

 

その後も順調に敵勢力をねじ伏せ、信長は日本の中心を広く制圧して

 

 

もはや敵無し!

中国地方、四国地方の制圧にもとりかかってるし天下統一まであと少し!


 

というところまで上り詰めました。

 

が1582年…

織田信長は家臣の明智光秀の裏切りにあい、本能寺で襲撃されて為す術なく自害してこの世を去ったのであります。

 

ちなみに信長と同時期に活躍していたレジェンド大名、武田信玄や上杉謙信は信長より早く病気でこの世を去っております。

 

戦に強く力を持った2人は信長にとってやっかいな存在でありました。

2人が長生きしていたら信長の天下統一事業はここまで進んでなかったかもしれませんね。

 

 

そういえば九州とか東北とかの方はどうなってるの?なんて思うわよね。

当時、政治の中心である京一帯を支配できれば天下人といえる存在だったんだって。

九州は九州で、東北は東北でと、それぞれの地域でも勢力争いが繰り広げられていたのよ~。


戦の世をひとまず終わらせた!豊臣秀吉が天下統一を果たすまで

思いがけない明智光秀の謀反…

 

1582年に起こった本能寺の変により、また時代は大きく変わっていきました。

 

そう、豊臣秀吉の時代が始まるのであります。

 

本能寺の変が起こった時、秀吉は織田信長の命令で中国地方の毛利氏と戦をしていたのですが、

 

信長の仇討ちをする為に毛利氏と和睦し、中国地方から京へと引き返して明智光秀を討ち取りました。

 

この功績により、織田家家臣の中での秀吉の地位がグンと向上します。

 

そしてその後、秀吉は織田家家臣の有力大名であった柴田勝家と織田家の後継者を巡って対立することになります。

 

 

秀吉はまだ子供だった信長の孫を後継者に推薦しました。

何もできない子供を織田家の当主にして、秀吉が織田家の実権を握ろうという魂胆であります。

 

もちろん、柴田勝家はそんな魂胆もお見通しだし、それを良しとしません。

そしてついに両者の間で戦(賤ヶ岳の戦い)が起こることになります。

 

この戦で秀吉は柴田勝家を死においやり、勝利をおさめました。

 

これで織田家には秀吉に対抗できる力をもった武将がいなくなり、秀吉は織田家をのっとる形で権力を握り、地位を確立したのであります。

 

ここから秀吉は織田信長が築いてきた天下統一の礎を引き継ぎ、信長が叶えられなかった天下統一を実現していきます。

 

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豊臣秀吉に屈服した全国の戦国大名達

 

豊臣秀吉が外交によって臣従させた主な大名達が、

 

中国地方の覇者・毛利輝元
北陸の覇者・上杉景勝
東海の覇者・徳川家康
奥州の覇者・伊達政宗

 

武力行使で臣従させたのが、

 

四国の覇者・長宗我部元親
九州の覇者・島津義久

 

…です。

 

 

関東の北条氏だけは最後の最後まで豊臣に反抗していたから、22万もの大軍で攻めて滅亡させちゃったのだ。


 

本能寺の変が起こったのが1582年、北条氏が滅亡したのが1590年…

 

豊臣秀吉は8年で完全なる天下統一の偉業を成し遂げたのであります。

 

これからしばらくの間、日本は戦のない平和な時が続きました。

 

 

戦国時代の栄華、ここに極まれり…って感じだね。


 

豊臣秀吉の死、守られない約束…戦国時代は終わってなかった

 

秀吉は日本を統一すると、次のステップアップとして海外にも兵を進めました。

 

そう、俗にいう朝鮮出兵が行われたのであります。

 

1592年と1597年の二度、朝鮮出兵は行われたのですが、二度目の出兵中に豊臣秀吉がこの世を去った事でこの朝鮮出兵は中断されました。

 

ちなみにこの朝鮮出兵は大失敗に終わっております。

両者ボロボロで得たものは無く、何のプラスにもならない戦で秀吉の黒歴史なんて言われたりしております。

 

そして秀吉亡き後は、

 

 

息子の秀頼をワシの後継者として、みんなで協力して豊臣家を盛り立てていってね!


 

という遺言のもと、五大老の大名達が協力して国の政治を取り仕切っていくこととなりました。

※五大老…豊臣政権の最高役職

 

ちなみに五大老には

 

徳川家康
前田利家
宇喜多秀家
毛利輝元
小早川隆景
上杉景勝(小早川の死後にメンバー入りか)

 

が任命されておりました。

 

彼らは豊臣家に尽くしていたし秀吉も彼らを信頼していました。

 

秀吉は彼ら五大老の補佐を得て、豊臣家が日本のトップであり続ける事を望んでいたわけです。

 

しかし、秀吉の願いは叶いませんでした。

 

天下人の座を狙う徳川家康が、独自に勢力を強めていったからであります。

 

徳川家康、待ち続けて最後の勝利者に!新しい時代が始まる

 

豊臣秀吉の死後、

 

 

秀吉の後継ぎはまだ幼い…

豊臣家を上手くまとめる事ができる者がおらんという状況よ。

 

今が天下を手に入れる大チャンスだ!


 

といった感じで、徳川家康は自分の思うまま好き勝手に物事を進めておりました。

 

昔から豊臣家に仕える石田三成は、そんな家康を良しとせず対立。

 

豊臣家家臣内でだんだんと派閥ができ、不穏な空気が漂い始めました。

 

 

家康は亡き秀吉様との約束を破り、天下を我が物としようとしている!

豊臣家の未来の為に、家康を成敗せにゃならん!

(家康は大大名だから手強い、沢山味方を集めなきゃ!)


 

 

違うって言ってるのに信じてくれないんだ?(違わんけど)

来るならこいや!やってやらァ!!

(めっちゃ味方集めとるらしいな。こっちも負けてられんで!)


 

1600年、そうした状況が悪化して関ヶ原の戦いと呼ばれる戦が起きてしまいます。

 

全国の大名を巻き込んだこの大規模な戦で勝利したのは徳川家康率いる東軍…

 

敗者となった石田三成ら西軍の大名達は処刑されたり、領地を没収されたり、滅亡に追い込まれたり…と厳しい処遇を受けております。

 

この関ヶ原の戦いによって日本の勢力図がまた大きく変わったし、徳川家康の権力が決定的なものとなりました。

(この時点では、まだ徳川家康は豊臣秀頼に仕える家臣の中で1番の権力者といったポジションにいる。)

 

そして関ヶ原の戦いから3年後の1603年、徳川家康は征夷大将軍に任命され江戸に幕府を開きました。

 

征夷大将軍とは武家のNo. 1の地位であり、これで名実ともに完全に徳川家康が豊臣家の上に立った事になります。

 

豊臣家は天下人の地位を失い、摂津・河内・和泉に約65万石を治める一大名へと転落してしまいました。

 

この時点で徳川家康の天下となったし、めでたしめでたし!

 

…で終われば良いのですが、そうはいかないのが戦国時代であります。

 

その後、徳川家と豊臣家の間に残る遺恨を完全に無くすために家康は行動にます。

 

 

鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス


 

で長い年月をかけ、ヘマをしないよう慎重に豊臣家の力を削いでいきました。

 

そして争いを表面化させる決定打となったのが、俗にいう『方広寺事件』。

家康は秀吉の時代に蓄えた財産を散財させるために、

 

 

亡き太閤様を供養するために寺を建てなよ。


 

と豊臣家におしつけて各地に寺を建てさせるのですが、その中のひとつ、方広寺で作られた鐘に刻まれた

 

君臣豊楽…

 

の文字に、

 

 

家康の名前を分断している!

不吉な、家康を呪っているのだな?!


 

と文句をつけ、豊臣方に謝罪を求めました。

もちろん、豊臣方は言いがかりだと抗議しますが、上手く和解できずに両者の関係が悪化してしまいます。

 

そして1614年、大坂の陣と呼ばれる戦が起こります。

 

大坂の陣の最終決戦では豊臣軍の真田幸村が、徳川家康に死を覚悟させるほど追い詰めるのですが、数で有利だった德川軍が勝利を収めました。

 

追い詰められた豊臣家当主・秀頼とその母・淀殿は自刃。

1615年、豊臣家は滅亡してしまいました。

 

これにて『戦国時代』と呼ばれる争いの時代は終結。

以後約およそ300年あまり、徳川幕府による平和な時代が続くこととなるのであります。

 

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