そこそこ波乱万丈、上杉景勝!直江兼続に支えられ120万石の大名に!

そこそこ波乱万丈、上杉景勝!直江兼続に支えられ120万石の大名に!

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そこそこ波乱万丈な上杉景勝の歴史!前半戦

上杉謙信といえば越後の大名!

その上杉謙信の後継ぎが今回の主役、上杉景勝よ~!


 

上杉景勝は全盛期に120万石を領したビッグな大名なわけだけど、

 

上杉謙信と直江兼続が有名になりすぎて、チョイと存在感が薄くなっちゃってるかもしれない…?いや、そんな事はないかも。

 

今回はそんな上杉景勝が120万石の大名になるまでの歴史やエピソードをゆるりとご紹介~!

 

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上杉景勝の出自&上杉謙信、直江兼続との関係

 

1555年、上杉景勝は上杉謙信の従兄弟・長尾政景上杉謙信の姉・仙桃院の間に生まれました。

 

つまり、景勝は上杉謙信の甥っ子。

 

謙信に実子がいなかったため、景勝は5歳の時に謙信の養子となり、上杉の姓を名乗るようになりました。

 

 

血の繋がりも濃いし、上杉家の後継ぎ候補として将来を有望されていたのだ。


 

そして上杉景勝といえば、直江兼続という有能な家臣がいることでも有名です。

 

兼続は景勝の5歳ほど年下。

景勝が15歳ぐらいの時に小姓となり、生涯景勝を支えてきた良き相棒であります。

 

 

景勝の功績は兼続の功績…って言ってもいいくらい、兼続は良い仕事してくれるのだ。


 

上杉景勝,直江兼続,歴史,エピソード

景勝の父と兼続の父も主従関係。

 

キャラ立ちしすぎな上杉景勝の性格、そのエピソード

 

上杉景勝は『大剛にして眼光鋭く、無口で笑顔を見せたことがない』と記録に残されており、寡黙で凄まじい威圧感を放つ人物であったといいます。

 

その威圧感を示すエピソードには

 

景勝の軍勢が舟で移動する時、我も我もと兵達が乗り込んできたので舟が転覆しそうになった。

景勝が無言で鞭を一振りすると、兵達は一斉に海に飛び込んだ。

 

なんてものがあったりします。

 

けど景勝は上杉謙信同様に義に厚い武将であり、大名としても有能だったのでただ恐れられていたわけではなく、人望は抜群にあったんだとか。

 

 

兼続も直江状に『うちの殿は律儀者…』と書いているぞ。


 

上杉景勝の最初の試練は上杉家の後継者争い

 

1578年、上杉謙信が急死。

 

謙信は後継ぎについて遺言を残していなかった為、この後、上杉家当主の座をめぐって上杉景勝と上杉景虎の間で『御館(おたて)の乱』と呼ばれる争いが勃発してしまいます。

 

景虎は景勝同様に謙信の養子なのですが、謙信と血の繋がりはありません。

 

なので

 

 

血筋的にはワシが当然、上杉家の跡継ぎとなる!


 

…はずなのですが、そうは簡単にいきませんでした。

 

上杉景勝を支持しているのが主に謙信の側近や家臣団なのに対し、

 

景虎は一部の謙信の側近ほか、関東の北条氏、奥州の伊達氏や蘆名氏、甲斐の武田氏といった名だたる大名達を味方につけていたのです。

 

なぜなら景虎は北条氏康の七男。

もともとは『氏秀』と名を名乗っておりました。

 

彼は上杉家と北条家の友好の証として、1569年に人質として上杉家にやってきたのですが、

 

謙信はこの氏秀を養子に迎え入れたばかりか、かつて自分が名乗っていた『景虎』という名前を与えるほど彼を気に入っておりました。

 

しかも、景虎の嫁には景勝の妹が選ばれており…

 

そしてさらに、景勝が春日山城の三の丸に居住しているのに対し、景虎は二の丸を与えられていたといいます。

 

ポッとやってきたよそ者、しかも人質だった奴がこんなに厚遇されてるのは景勝的には面白くない状況…!

 

 

上杉家当主の座まで奪われたら憤死するレベル!


 

絶対に負けられない戦いがここにある…!

 

景虎側も上杉家をものにするチャンスということでそりゃもう必死、お互い必死。

 

 

よその大名達まで景虎の支援をするなんて…北条のコネが強すぎてヤバイ!


 

 

お任せを。

色々作戦考えたましたぞ~。


 

景勝は先手必勝&素晴らしい行動力でこの戦いを有利に運びました。

 

まず、謙信の葬式を景勝が取り仕切って

 

 

ワシが謙信公の跡継ぎ。


 

を周囲にアピール。

 

そして春日山城の本丸を素早く占拠し、戦に必要な資金や武器を確保しました。

 

景虎は致し方なく春日山城をあきらめ、味方の御館へと引き籠ります。

 

その後、武田勝頼が景虎の援軍として越後へと進軍してくるのですが、

 

 

土地分けてあげるから仲良くしよう?


 

 

いいよ~。


 

景勝は武田勝頼を丸め込み、武田との戦を回避しました。

そして

 

 

景勝さんとワシ、和睦したよ。

景虎さんも景勝さんと仲直りしようよ。


 

景虎

 

うむ(´・ω・)…


 

勝頼に動いてもらい、景勝と景虎は和睦を結ぶことに。

 

しかしその和睦も束の間、武田勝頼が国へ帰ったのをきっかけに再びバトル勃発…

 

景勝は景虎の籠る御館を包囲して景虎を追い詰めるのですが、景虎は密かに館を脱出して実家へと逃亡を開始しました。

 

が、景虎は逃亡中に味方に裏切られ自害に追い込まれてしまいます。

 

こうして後継争いは終結、景勝はめでたく上杉家の当主になったのでした。

 

 

この一件で、上杉と北条は仲が悪くなってしまったぞ。

でも武田とは良い関係になったのだ。


 

 

ワシも北条に嫌われちゃった。

ちなみにこの後、ワシの妹・菊姫と景勝さんが結婚したよ。


 

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家臣の裏切り、織田軍の越後攻めで上杉景勝大ピンチ!

 

1582年…

景勝を裏切った新発田重家(しばたしげいえ)が、越後の沼垂(ぬったり)という地を占領するという事件が勃発。

 

『御館の乱』で景勝の為に働いて功をあげたのに、満足のいく恩賞が与えられなかった…という不満からの謀反でした。

 

もちろんのこと景勝は激怒。

新発田征伐に乗り出すのですが、この新発田重家が伊達や織田の協力を得て景勝と対立していたためになかなか思うようにいかず…

 

そしてそうこうしてる間に柴田勝家、佐久間盛政、前田利家ら織田家の北陸メンバーが4万の大軍を率い、魚津城めがけて進軍してきました。

※魚津城…上杉の拠点。が越中を支配するのに重要な場所。

 

 

ついに織田が上杉を潰しにきたか?!

新発田どころじゃないっ︎!


 

景勝はこれを救うために自ら出陣、本拠地である春日山城を離れました。

 

しかし、このタイミングでこれまた織田家の武将・森長可が

 

 

越後が隙だらけだぜ。

春日山城とったろ。


 

と信濃からやってきて上杉領をグイグイ侵攻してきたので、景勝はやむを得ず春日山城へと引き返しました。

 

 

魚津城は我らがいただいたのじゃ。


 

上杉景勝,直江兼続,歴史,エピソード

※美濃金山は森長可の地元です。

 

同盟相手であった武田勝頼は少し前に織田信長に滅ぼされたので、景勝は他国に助けを求める事もできず…

 

 

もの凄くヤバイ状況…!

でも屈しない、最後まで戦うぞ。


 

滅亡覚悟で戦う決意をした景勝ですが、幸運なことにこのタイミングで『本能寺の変』が勃発。

 

 

上杉どころじゃねぇ!

本能寺には俺の弟もいるんだぞ(`;Д;)


 

 

魚津城なんか捨て置く!

すぐさま信長様の敵討ちじゃ!


 

ということで織田軍の武将達は上杉領から撤退していき、景勝は人生最大の窮地を脱したのであります。

 

 

サンキュー、明智光秀。


 

その後、景勝はこの機を逃すなと反撃を開始。

 

森軍を追撃した後、信濃へ侵攻して奪われていた土地などを奪取しました。

 

 

森軍は取り逃がしたけど、川中島を制圧したぞ。

そしてその後、北条軍が信濃に侵攻してきたけど無事に撃退したのだ。


 

長引いた新発田征伐&頼りになる家臣、直江兼続!

 

織田軍の脅威が去った後、上杉景勝は再び裏切り者の新発田重家の討伐に取り掛かりました。

 

しかし、新発田城を攻撃するも敵の守りは堅く、なかなか城は落ちず。

 

そして仕方ないのでひとまず撤退するも、その撤退中に敵の追撃を食らい大きなダメージを食らうと言う始末。

 

 

このまま帰るわけにはいかん!

すぐ新発田城へ引き返し攻撃じゃ!


 

憤怒した景勝は再び城を攻めようとしたのですが、これを諌めたのが直江兼続…

 

 

怒り任せに戦うなんてダメダメ。


 

兼続の説得により、景勝は春日山城に撤退しました。

 

そして翌年の1583年、再び新発田を攻めにかかります。

 

が、また勝てず。

 

その三年後の1586年、景勝は当時ノリにノッていた秀吉に臣従。

 

協力な後ろ盾を得て、再び新発田攻めを決行しました。

 

が、また勝てず。

 

そして1587年も出陣、ここでは直江兼続の

 

 

焦らず、時間かかってもいいから確実に勝ちにいきましょう。


 

といった助言のもと、遠回りしながらも安全な道を進み、敵の支城を落としつつ進軍し…裏切られてから6年、ついに新発田城を落とすことに成功したのでした。

 

YATTA!上杉景勝、豊臣政権の最高役職に就任

 

織田信長の死後、豊臣秀吉は自分に反抗的な勢力をねじ伏せ…

 

上杉景勝,直江兼続,歴史,エピソード

 

↑信長の築いた勢力をモノにし、日本で敵なし状態となっておりました。

 

四国の長宗我部氏や九州の島津氏なんかはこんな状態の秀吉と戦って敗北し、大幅に領土を没収されているのですが、

 

早い段階で秀吉に臣従した上杉景勝は安泰、むしろ秀吉の信頼を得て安定した地位を築く事に成功しました。

 

1589年には、秀吉の命令で本間一族の内乱を鎮めるために佐渡に出陣し、佐渡を平定して直接自分の支配下に置くことができました。

 

 

その後、北条攻めや朝鮮出兵にも参陣したぞ。

この頃には92万の大名になっていたのだ。


 

秀吉が天下人となった後は、豊臣政権の最高役職である『五大老』にも抜擢されております。

 

五大老のメンバー

 

徳川家康
前田利家
毛利輝元
宇喜多秀家
小早川隆景
上杉景勝

 

堂々たるメンツ…!

 

 

6人いるのはワシが小早川さんの死後にメンバー入りしたからだよ。


 

そして1595年…

会津92万石を領していた蒲生氏郷が死去すると、上杉景勝に会津移封の命令が下ります。

 

 

佐渡、庄内は引き続き上杉の領地でいいよ。

石高超アップだよ。


 

 

ありがたいお話だけど、愛着ある越後から離れるのは…嫌。


 

景勝はこの時、天下人の命令といえどもさすがに渋ったそうです。

 

しかし秀吉も折れず。

天下人の命令に背くことはできないので、景勝は泣く泣く会津にお引越ししたのでした。

 

 

奥州の伊達や出羽の最上はワシ的に危険人物だから、信頼できる大名を抑えに置きたかったのだ。


 

 

越後の民と上杉の絆が強いのが怖いから、切り離して上杉家の力を弱めたかった…

 

っていう説もあるみたい。


 

何はともあれ、上杉景勝は会津120万石という日本トップレベルの大大名となり、ここに上杉家の全盛期を築いたのであります。

 

 

だが長くは続かなかったのである…。

次回、会津征伐?上杉景勝は徳川家康に屈しない!しかし最後は無念の領土没収をお送りします。


 

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