会津征伐?上杉景勝は徳川家康に屈しない!しかし最後は無念の領土没収

会津征伐?上杉景勝は徳川家康に屈しない!しかし最後は無念の領土没収

武士の意地を見せた、上杉景勝!景勝は徳川家康に屈したくない!

上杉謙信公の後を継ぎ、120万石の大大名となって上杉家の全盛期を築いた上杉景勝!


 

豊臣秀吉の信頼も得て、上杉家は安泰!

 

だったわけだけど、秀吉の死後は徳川家康に目をつけられちゃってこれまた波乱万丈な展開に…!

 

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秀吉が死去、時代が変わるよ!その時、上杉景勝は…

 

1598年、豊臣秀吉が死去。

 

それからというもの、密かに天下を狙う徳川家康豊臣家の天下を守りたい石田三成との間で不穏な空気が漂いまくり派閥ができていくわけですが、上杉景勝はさりげなく石田三成側の味方にありました。

 

 

ワシが三成と懇意いうよりか、兼続と三成が親しくてね。


 

そして1599年に入ると前田利家が死去。

いよいよ家康が実権を握り、ますます情勢は不安定になっていきます。

 

 

(120万石の上杉家は脅威。三成の肩もってるし、潰しときたい…。)


 

家康がこう思うのは景勝の察するところ。

 

なので景勝は、家康対策&いずれ起こるであろう戦に対応できるよう武器や人を集めたり、領内の道路工事や城の建設など行い密かに軍事力を強化していきました。

 

そしてこれだけでなく、故郷の越後を奪還すべく配下を越後に送り、農民たちを煽って一揆を起こさせました。

(もちろん一揆が上杉の仕業ってバレたらマズイ。)

 

越後の民は景勝の後に越後領主となった堀秀治(ほりひではる)に対してもともと不満があったので、一揆は簡単に起こせたみたいです。

 

 

まぁそもそも、堀が越後の民に恨まれるきっかけを作ったのもワシなんだけどね。


 

上杉景勝は堀秀治に何をしたの??

上杉景勝は会津に引っ越す際、越後の民から年貢を全て取り立てて土地を去った。

 

 

オイオイオイオイ年貢は半分置いていくのがマナーだぞ?


 

堀秀治は年貢を返すよう上杉に要求するが…

 

 

会津の前領主(蒲生氏)がね、年貢全部持っていったんですよ。

ウチも同じ事をしただけなんで、返せと言われてもねぇ…。


 

上杉サイドは『私たちは悪くありませ〜ん』のスタンスを貫きそれに応じず。

 

やり繰りに困った堀秀治は民に重税を課し、景勝が年貢免除としていた寺社からも年貢を徴収した。

 

その結果、堀秀治は民の不信を買ってしまった。
堀秀治が景勝に恨みを抱いたのは言わずもがな。

 

上杉景勝と直江兼続、堂々と徳川家康にけんかを売る

 

越後奪還の為に上杉が起こした一揆、もちろん迷惑を被るのは現越後領主の堀秀治です。

 

かねてより景勝を良く思わない堀秀治は、

 

 

一揆の首謀者は景勝に違いありません!

 

それ以外にもお城立てたり武器集めて戦準備してるみたいだし、きっと上杉は謀反を企んでますぞー!


 

なんて徳川家康に報告。

(あと最上義光なんかも景勝の動きを家康に報告していた)

 

これを受けて家康は

 

 

謀反の疑いがあるけどどういうことかな?

弁明してくれる?


 

と景勝に上洛するよう求めました。

 

これに応じて誤解を解かなければ、景勝は『戦を起こすつもりね?!景勝は豊臣の天下を乱す謀反人だ!』という事になってしまいます。

 

しかしながら…

 

 

一揆の件はアレだけど、豊臣家に対して謀反なんて考えてないし。

家康に頭下げるのは腑に落ちん。


 

 

我々は悪い事くないし、堂々としてたらいいんですよ。

私がお返事書きますね。

 

『うち、雪国だから交通の便が悪くて上洛できません。言い訳じゃないですよ。というか、謀反を企ててるって噂の根拠は?誰かさんと違って景勝はそんな事考えもしませんが……その他もろもろry』


 

 

イイネ(´-`)b

それ、家康に送っちゃおう。


 

景勝達はとても強気な態度を見せました。

 

当然、家康が上杉側の言い分に納得するわけもなく。

 

 

反抗的!

やっぱり謀反企んでる!


 

 

誤解だから!

上杉はそんな事考えてない!


 

 

いいえ、豊臣家を守る為に上杉を倒しにいきます!


 

と、石田三成らの主張を無視して会津へと進軍を開始しました。

 

 

会津征伐には、後に起こる『関ヶ原の戦い』で東軍につく武将達が多く参加しているぞ。


 

江戸からは徳川家康率いる大軍、そしてその背後には最上や伊達…

 

正直、勝つの厳しくない?

 

という状況ですが、上杉景勝は常陸の佐竹氏、陸奥の相馬氏らと組んで、迫り来る徳川軍を挟み撃ちにするという作戦を立てていたといいます。

 

 

こういった作戦を考えていたのは私。(と言われているよ。)


 

しかし、家康の進軍中に石田三成が上方で挙兵したので、徳川御一行は会津征伐を中断して兵を退き返しました。

 

この後、

石田三成と徳川家康らは美濃の関ヶ原で対峙、関ヶ原の戦いが勃発することとなります。

 

 

家康との直接対決ならず。

戦ってたらどうなってたのか気になるところ…。


 

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上杉景勝は関ヶ原の戦いの時何してた?

 

徳川軍が上方へと向かった後、上杉景勝は家康を追うことなく地元に留まりました。

 

そして、

 

 

最上領を手に入れる絶好のチャンス!


 

家康の脅威が去ったのを好機と捉え、景勝は最上攻めを決行したのであります。

※上杉領である佐渡、庄内は会津の隣の最上領に分断されている。最上領が手に入れば領土も広がるし不便もなくなるでいい事だらけ。

 

 

これに至り、上杉は伊達と和睦を結んだぞ。

これで最上だけに集中できるのだ。


 

 

政宗的にも上杉と無理に戦しなくて済むし、別の所で領土拡大チャレンジできるしでウィンウィン。


※とは言っても、政宗はすぐに和睦の約束を破って最上に加勢する。

 

景勝は直江兼続を総大将とし、およそ2万5000もの兵を動員して最上義光を潰しにかかります。

 

上杉軍は最上義光の居城・山形城を狙って侵攻を開始。

 

畑谷城、上山城と支城を落としていくのですが…

 

山形城の手前、長谷堂城での戦いで敵の強い抵抗にあい、苦戦を強いられてしまいます。

 

そして

 

 

天才兼続くんの戦略が通じない…。困ったなぁ。


 

なんて膠着状態にあったところに関ヶ原の戦いで西軍が敗北したと知らせが入ってきたので、最上攻めは中断されました。

 

上杉軍は急いで最上領から撤退、ここでの窮地は乗り越えたものの…

 

 

徳川はいずれ、また上杉領に攻めてくるだろう。

状況が一変した今、勝ち目はないぞ…。


 

景勝は上杉家を守る為、ついに家康に降伏することを決めたのでした。

 

関ヶ原の戦い後、上杉家はかなり結構苦労していた

 

関ヶ原の戦いの後、上杉家は会津120万石を没収され米沢30万石のみを安堵されました。

 

 

日本屈指の大大名だったのに…。

取り潰しとならなかっただけ良し…か?


 

石高は四分の一に減ったにもかかわらず、景勝は家臣達を解雇しなかったので経済的にもの凄く苦労していたとのことです。

 

そして家臣達はお給料が減っただけでなく住む屋敷も不足していたので、やむを得ず城下町から外れた土地で小屋暮らしをする者もいたんだとか。

 

 

その後、兼続が色々な政策を行ってくれたおかげで米沢の経済は良くなっていったぞ。


 

大坂冬の陣では上杉家の武勇を見せつけてやった

 

関ヶ原の戦い以降、しばし平和な時が続くも豊臣家と徳川家の関係が段々と険悪なものになっていき…

 

ついに武力衝突、1614年に戦国時代最後の戦となる『大坂の陣』が勃発しました。

 

上杉景勝はもちろんのこと徳川軍の一員として、この戦に参加しております。

 

大坂冬の陣では二番手として先陣を務め、大坂の鴫野へ進軍…

 

後藤又兵衛らの軍勢と戦って勝利を収めました。

 

 

上杉軍はここで多くの敵を討ち取ったのだ。


 

この戦況を耳にして家康は

 

 

激戦で上杉の兵達、疲れてるでしょ?

ここは代わりの者に任せるから、しばらく休憩すればいいよ。


 

と景勝に指示を出すのですが、景勝は

 

 

ここは我らが朝から奮戦し、取り仕切っている場所です。

人に譲って退くなど、主君の命令であっても聞けません。


 

と拒否したそうです。

笑わないキャラも相まって頑固一徹感…!

 

その後も上杉軍は休む事なく奮戦。

鴫野に攻めてきた豊臣軍と戦い、これを撃退し…

 

その後、今福で苦戦していた佐竹軍に加勢し、ここでの戦いを徳川軍の勝利に導きました。

 

景勝率いる上杉軍の目覚ましい活躍に、徳川軍の武将達は

 

 

謙信公以来の弓矢の戦い、いまだ衰えず!


 

と景勝を褒め称えたといいます。

 

なお、翌年の『大坂夏の陣』も出陣はしていたようですが、大坂城近辺での戦闘には加わっていない模様。

 

 

ちなみに大阪の陣で大活躍した真田幸村は、一時期上杉家の人質だったんだぞ。


 

上杉景勝の最後

 

大阪の陣が終わってからは平和な時が続き…

 

1619年、景勝の相棒である直江兼続が死去。

 

その時、景勝は

 

 

兼続は自分より5つも若いのに先に逝ってしまった…。


 

と、兼続の死をとても悲しんだといいます。

 

そしてその4年後、上杉景勝も死去。

享年69歳でした。

 

 

上杉家はワシの一人息子の定勝が継いだぞ。


 

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