チョイ卑怯で油断ならん?真田昌幸はズル賢く戦国の世を生き延びる!

チョイ卑怯で油断ならん?真田昌幸はズル賢く戦国の世を生き延びる!

もしかしてギャンブラー?な真田昌幸の怒涛の1582年

武田家滅亡に本能寺の変、1582年は真田昌幸の人生でおそらく一番大変だった年!


織田・徳川・上杉・北条と大勢力に囲まれていた真田はあの手この手で戦国の世を生き延びる・・・!

 

今回はちょいと卑怯で油断ならん男、真田昌幸の怒涛の半年間をゆるりと解説!

 

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おさらい

 

織田信長による武田攻めで窮地にたたされた武田勝頼は甲斐を捨て逃亡。

 

真田昌幸は敗走してくる武田勝頼を助けるべく城に迎え入れる準備をしたけれど、勝頼はそれを蹴って小山田信茂の手引きで逃亡を開始しました。

 

その結果、勝頼は土壇場で小山田信茂に裏切られ武田家は滅亡に追い込まれてしまったのであります…!

 

詳しくはコチラ:真田昌幸の忠義!武田信玄・勝頼に仕えた時代をゆるりと解説!

 

武田家滅亡、どうする真田昌幸!

 

武田信玄の時代から、武田家に忠義を尽くしてきた真田昌幸…。

 

勝頼を見捨てて織田や徳川に寝返る者も多かったのですが、真田昌幸は最後まで武田家の家臣という立場を貫きました。

 

武田家がなくなってしまったことは真田家にとって一大事。

 

小勢力である真田が戦乱の世を生き抜くには誰の下につくのがいいのか、決断しなければならないのです。

 

 

織田、徳川、北条、上杉…信濃周辺には強豪達がひしめいておるのだ。悩む…。


 

勝頼が亡くなった翌日、北条から

 

 

北条においでよ〜


 

と書状が届いたらしいのですが、真田昌幸はこれに応じず。

 

結局、この時日本最強であった織田信長に臣従を誓うこととなります。

 

 

織田家家臣・滝川一益の与力となり、ひとまず安泰。

でも武田家時代に自力でゲットした沼田城は滝川氏のものになっちゃった…。


 

武田家滅亡の際についての余談

『真田昌幸は武田勝頼の為に逃亡の準備をし、最後まで織田と戦う意思を見せていた。』という忠義を示すエピソードがある一方で、実は武田家滅亡の前に北条や徳川、上杉と接触していた事を示す資料があるとの事。

 

だとしたら勝頼を裏切ってたことになるし、北条と通じといて織田に臣従した真田昌幸はかなりの曲者…。

 

織田信長死去!時代が変わるよ!昌幸どうする?!

 

織田家に臣従した真田昌幸ですが、武田滅亡からわずか3ヵ月もたたない間に本能寺の変が起こり信長が死去してしまいます。

 

 

これはえらいこっちゃで〜!


 

織田の侵略に不満を持っていた甲斐・信濃の国人達は信長の死をきっかけに、旧武田領に入ってきた織田家の武将達に反旗をひるがえしました。

 

織田家家臣・森長可、毛利秀頼、道家正栄などは相次いで美濃方面に逃走。

 

甲斐・信濃諏訪郡支配を担っていた河尻秀隆は殺害され、甲斐・信濃は領主不在の無法地帯となってしまったのです。

 

 

ラッキー!


 

 

領土拡大の大チャンス!


 

徳川家康・上杉景勝・北条氏直らで旧武田領争奪戦が繰り広げられる事に。(天正壬午の乱)

 

さておき、この時真田昌幸は…?というと、

 

上司の滝川一益が北条氏に攻められ土地を追われたのをチャンスと見て、かねてより親交の深かった沼田衆達と手を結び、滝川氏のものとなっていた沼田城をちゃっかり奪還したのでした。

 

 

とはいっても真田単独ではとてもじゃないけど生き残れない。上杉、北条、徳川…誰につこう…。


 

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真田昌幸と波乱の天正壬午の乱!戦国の世は大変

 

信長の死後、越後の上杉景勝が素早く信濃・川中島を制圧しました。

 

 

上杉キテるね!よし、上杉に臣従しよう!


 

真田昌幸はすかさず上杉景勝とコンタクトをとるのですが、この直後に北条氏直が4万5000もの大軍を率いて碓氷峠から信濃へ侵攻してきました。

 

 

おっふ…超大軍…。考え直そう…。


 

考え直した結果、真田昌幸は北条に臣従を決めます。

 

 

そっちから来たのにヒドイ。


 

その後、北条氏直は上杉景勝が制圧した信濃・川中島を手中に収めるべく侵攻を開始。

 

真田昌幸もこの戦に参戦、上杉方の武将と内通して上杉軍を挟み撃ちにするという策略を昌幸が仕掛けるも、上杉にこの策がバレておじゃんになってしまいます。

 

 

ここでつまずいたのもあり、北条氏直は結局信濃を制圧する事ができなかったのだ。


 

信濃を諦めた北条氏直は甲斐の制圧にとりかかるのですが、この時の甲斐は一揆衆(旧武田家家臣達)によって制圧されておりました。

 

 

この旧武田家家臣達は徳川の傘下に入ってくれたぞ!


 

しばらくの間、甲斐では北条と徳川で戦が繰り広げられる事になります。

 

この時、真田昌幸は上杉軍の抑えとなる為に信濃に留まっていたのですが、徳川側の武将・依田信蕃(よだのぶしげ)から

 

 

徳川につきなよ〜!


 

と密書が来たのをきっかけに北条氏直と決別し、徳川家康に味方する事を決めます。

 

それからは甲斐で戦う徳川軍に兵糧の援助をしたり、北条軍の補給路を断ったりと徳川の勝利の為に奔走しました。

 

結果、北条は徳川との戦で敗北。

北条氏直は徳川家康に和睦を申し入れ、甲斐から兵を退いたのであります。

 

この一連の戦で昌幸は、本領の信濃・小県郡に加え、武田家家臣時代に任されていた沼田城、岩櫃城、戸石城とその領土を真田のものにする事が出来ました。

 

 

いち武田家家臣だったのが、見事に大名として独立できたのだ!


 

何が凄いって武田家滅亡からここまでくるのに半年しか経ってないという。

 

半年間で北条→織田→上杉→北条→徳川と5回も離反と臣従を繰り返すという危ない綱渡り…、

 

その結果、勢力を拡大して大名として独立したのは凄いの一言に尽きます。

 

小勢力だったのに上杉や北条といった一大勢力相手にホイホイと裏切れちゃうのも度胸があって素晴らしい。笑

 

 

真田は油断ならんとか、節操ないとか散々に言われておるぞ。

卑怯とかじゃなく、これは真田の生き残りをかけた処世術なのだ。


 

これで終わらないのが真田昌幸…!

 

怒涛の半年を経て徳川家に落ち着いた真田昌幸ですが、そのわずか2年後に徳川家康のもとを離れて上杉景勝に臣従、そこから隙をみて豊臣秀吉に臣従…と、主君を変えていくことになります。

 

忠義心や義理といったものは感じられませんが、

 

 

真田昌幸は表裏比興の者である。(褒めてる)


 

と豊臣秀吉に評価されるほどにやり手だった模様。

 

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