北条氏(氏康・氏政メイン)年表!簡単な勢力図付きでわかりやすく

北条氏(氏康・氏政メイン)年表!簡単な勢力図付きでわかりやすく

徳川家康 ラインスタンプ

北条氏(氏康・氏政メイン)年表!簡単な勢力図でわかりやすく

戦国時代、関東に大勢力を誇った北条氏!


一代目の北条早雲はいち今川家の武将に過ぎなかったんだけど、そこから城持ちになって…国を治める大名になって…と北条氏を興し、

 

二代目・氏綱、三代目・氏康の代でグングン成長して関東の覇者と呼ばれるまでになって…、

 

四代目・氏政の時には200万石はあったとされるんですって!

 

今回はそんな偉大な北条氏の歴史を、ちょっとした勢力図付きでザーッと年表にしてみたわよ~!

 

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北条氏 歴史年表

1432年

北条早雲、誕生

北条氏の一代目。1456年生まれとも言われている。

1487年

北条氏綱、誕生

北条氏の二代目。氏綱は早雲の嫡男。

1493年

伊豆討ち入り

今川氏の武将だった北条早雲が堀越御所の茶々丸を攻撃、敗走させる。

後に伊豆を平定する。

 

伊豆の韮山城を拠点とし、ここから独立した勢力を築いていく。

1495年前後

小田原城攻め

早雲、相模の小田原城に奇襲をかけこれを手に入れる。

1512年 早雲、相模の有力者である三浦氏を攻略していく。 

後に三浦氏は滅び、早雲が伊豆・相模の二ヶ国を支配下に置く。

1515年

北条氏康、誕生

北条氏の三代目。氏綱の嫡男。

1516年 早雲、相模を平定する
1518年 氏綱が家督を相続する
1519年 北条早雲、死去

享年88。

 

その後、伊勢姓から北条姓へ。

1524年 高輪原の戦い

北条氏綱が武蔵へ侵攻し、上杉朝興(扇谷上杉氏)の籠る江戸城を攻め、これを手に入れる。

 

北条氏康,戦国武将,年表,歴史

この頃の北条の主な敵は両上杉氏、里見氏など。足利公方も上杉の味方に…。

 

1530年

小沢原の戦い 北条氏康 、初陣。扇谷上杉軍に勝利。

これ以降、氏康は氏綱に従って戦に赴くことになる。

1532年 北条氏綱、里見氏の軍勢によって破壊されていた鶴岡八幡宮を再興する。

関東の豪族達から修繕費を調達し、8年かけて完成させる。

 

この行動は北条氏が関東のリーダー的存在であることを諸大名達にアピールした事になる。

1537年 河東の乱(第一次)

同盟相手の今川氏(義元)と揉めて駿河へ侵攻。駿河の河東を手に入れる。

早雲の頃から形的には主従関係にあった今川氏から完全に独立した。

 

その後、扇谷上杉氏の本拠地・河越城を攻め、これを手に入れる。

1538年 第一次国府台の戦い

氏綱・氏康親子で出陣、足利義明・里見義堯(よしたか)連合軍と下総で戦い、勝利する。

 

北条氏政、誕生

北条氏の四代目。氏康の次男。

1541年 北条氏綱、死去

病により氏綱が亡くなる。享年55。

 

北条氏康が家督を継ぐ

 

この時点で北条氏は伊豆、相模、武蔵、上総、下総、駿河半国…と勢力を伸ばしている。

 

河越城の戦い

上杉朝定(扇谷上杉氏)と戦い、勝利する。

1545年 上杉憲政(山内上杉氏)、上杉朝定(扇谷上杉氏)、古河公方・足利晴氏らが結束し、8万もの大軍で北条綱成が兵3000で守る河越城を包囲する。

 

翌年に続く↓

1546年 河越夜戦

河越城の包囲が半年以上続いており、北条氏康は8000の兵で河越城の救援に向かって夜襲をかけて連合軍を撃破する。

上杉朝定は討死、扇谷上杉氏は滅亡した。

 

関東で覇権を握っていた山内・扇谷の両上杉氏に勝利したことで 、北条氏康は関東でいっそう覇権を握る事になる。

1550年 税制改革で『四公六民』を実施、領民からの支持を得る。
1551年 上野へ侵攻し、上杉憲政の居城・平井城を落とす

上野を追われた上杉憲政は、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼る。

 

これ以降、長尾景虎は上杉憲政の領土回復を掲げ、関東にたびたび侵攻してくるようになる。

1554年 三国同盟が成立

北条・今川・武田で同盟を結ぶ。

 

三国同盟

 

1556年 常陸国へと侵攻。

 

この頃、近隣の国人・大石氏に三男の氏照、藤田氏には四男の氏邦を養子に送りこんで北条一族に取り込んでいる。

1559年 氏康、息子の氏政に家督を譲る。

(とはいっても変わらず氏康が政権を握っている)

1561年 小田原城の戦い 上杉謙信が、上杉憲政の領土回復を掲げて関東へ侵攻してくる。

 

謙信は上野・武蔵の北条の支城を落としつつ、関東の国人達を糾合して10万の兵で北条の本拠地・小田原城を包囲した。

 

が、徹底した北条方の籠城で小田原城は落ちず。

1564年 第二次国府台の戦い

里見義堯・義弘親子と戦い勝利する。

これにより上総に勢力を拡大、同年に武蔵の太田氏を調略し、武蔵の大半を支配することに成功。

1566年 上杉謙信に呼応していた関東の国人達の多くが北条氏に帰属。武蔵・上野・下総などを広く支配下に置く。
1567年 三船山の戦い

北条氏政が里見義弘と戦うも敗北する。

1568年 武田信玄が三国同盟を無視して今川領へ侵攻。

氏康は救援するために出兵し、武田軍と戦う。

翌年、武田信玄は甲斐へ撤退する。

1569年 この頃、武田信玄に対抗するため、北条氏は上杉謙信と同盟を結ぶ。

 

三増峠の戦い

氏康氏政親子は小田原城に攻めてきた武田軍を籠城して撃退するが、退却していく武田軍を追撃してそこで北条軍が敗北してしまう。

1571年 北条氏康、病により死去。

享年57。氏政が跡を継ぐ。

 

氏康の遺言もあり、北条氏は信玄と同盟を復活させる。

謙信とはまた敵対関係になる。

1574年 下総の関宿城を攻め落とす。
1575年 下総の結城氏が恭順。

 

下野の祇園城を落とす。

1577年 里見義弘と和睦する。
1578年 武田勝頼が北条と不仲の上杉氏と同盟を結んだため、武田と北条の同盟関係が破棄となる。

(その代わりこの後に徳川家康、織田信長と同盟を結ぶことになる)

1580年 氏政、息子の氏直に家督を譲る。
1582年 織田信長による甲州征伐が行われる。

北条氏も便乗して武田の領地に攻め入るが、武田勝頼を討ったのは織田軍で武田領は織田、徳川の武将に与えられた。

 

この後、本能寺の変で織田信長が死去。

北条氏は織田氏との同盟を無視して挙兵、上野へ侵攻。

 

神流川の戦い

関東入りしていた織田家家臣・滝川一益に勝利。

 

この後、甲斐へ侵攻してきた徳川家康と対峙、争いの後に和睦を結ぶ。

甲斐・信濃を徳川領、上野国を北条領とすることで合意。

1585年 下野、常陸にも手を伸ばし勢力を拡大。

相模・伊豆・武蔵・下総・上総・上野に加えて常陸・下野・駿河の一部を領する。

1590年 北条小田原攻め 

豊臣秀吉に反抗的な態度をとり続けた結果、怒らせてしまい秀吉主導のもと22万の大軍で小田原城を包囲される。

 

降伏を余儀なくされた氏政は切腹

氏直は助命されるも翌年病死。享年30。

 

関東に一大勢力を築いた北条氏は滅亡した。

 

 

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