戦国時代年表!戦国時代の流れがザーっと簡単にわかる年表

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徳川家康 ラインスタンプ

戦国時代年表!歴史の流れ、武将達の出来事をわかりやすく

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日本の戦国時代の歴史がザーッとわかるように、できるだけ簡潔に年表にしたわよ~!


一部の戦国武将は個別で年表作ってるから、お目当ての武将がいる方は下記リンクを覗いてみてね♪

戦国時代&武将年表一覧

 

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1467年 応仁の乱 戦国時代の幕開け。
1493年 伊豆の乱 後北条氏の祖である、北条早雲が伊豆を平定する。
1516年 北条早雲が相模を平定する。下剋上により戦国武将となった第一人者。
1527年 斎藤道三が美濃守護大名の土岐氏を追放し美濃を支配する。
1531年 細川高国が家臣の三好元長に攻められ自害する。
1541年 郡山城の戦い 中国地方で毛利元就が尼子晴久を破る。国人であった毛利氏はメキメキと頭角を現していく。

 

武田信玄が父、武田信虎を追放し甲斐を支配する。

1542年 第一次月山富田城の戦い 中国地方の尼子晴久が大内義隆に勝利。

 

種子島に鉄砲が伝わる。

1545年 川越城の戦い 関東地方の北条氏康が反北条連合軍(上杉憲政・上杉朝定)に勝利
1546年 足利義輝が将軍となる。
1548年 上杉謙信が家督を継ぎ越後の守護代(大名の代理で国を任される)となる。
1549年 足利義輝、三好長慶に追われ近江へ逃げる。三好長慶が京周辺を支配することとなる。

 

徳川家康、今川義元の人質となり駿府で生活を送る。

1550年 フランシスコザビエル、日本でキリスト教を広める。
1551年 織田信長18歳。父の織田信秀が病死し、家督を継ぐ。この時、尾張の東半分が信長の支配下。
1552年 将軍足利義輝と三好長慶が和睦する。足利義輝は再び京へ入る。
1553年 川中島の戦い 武田信玄と上杉謙信の初めての合戦。信玄と謙信はその後12年の間に5回、川中島で合戦をするが、決着はつかないまま終わる。
1554年 北条氏康、今川義元と武田信玄と戦う。その後に和睦。
1555年 厳島の戦い 毛利元就が陶晴賢に勝利。
1556年 長良川の戦い 美濃の覇者、斎藤道三が息子の斎藤義龍に殺害される。
1557年 毛利元就が大内義長に勝利し、周防、長門を支配下に置く。
1558 木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)、織田信長に仕える。
1559年 織田信長、上洛して足利義輝と会う。

 

上杉謙信、上洛して足利義輝と会う。

1560年 桶狭間の戦い 織田信長が今川義元に勝利する。信長の勢力に勢いが増していく。

 

徳川家康、今川家から離脱する。故郷の三河、岡崎城へ帰る

1561年 上杉謙信、上杉憲政から関東官僚の職を譲られる。
1562年 清州同盟 織田信長と徳川家康が同盟を結ぶ。
1563年 三河一向一揆が起こる。翌年には徳川家康がこれを無事に平定する。
1564年 将軍足利義輝が三好三人衆、松永久秀らに討たれる。
1565年 第二次月山富田城の合戦  毛利元就が尼子氏を攻める。

翌年、尼子義久は毛利元就に降伏する。中国地方を支配していた大内氏、尼子氏に変わり毛利元就が中国の覇者たる存在になる。

1567年 稲葉山城の戦い 織田信長が美濃の斎藤竜興に勝利。斎藤氏は滅亡する。

 

松永久秀によって東大寺の大仏殿に火がかけられる。

1568年 織田信長、北伊勢を支配。足利義昭を奉じて京へ入る。足利義昭が将軍となる。

 

織田信長、関所を廃止する。

1570年 姉川の戦い 織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉義景連合軍の戦い。織田・徳川連合軍が勝利。

 

織田信長、石山本願寺の顕如を中心とした一向門徒達と敵対する。信長は11年間にわたってこの宗教勢力と戦い続ける事となる。各地で一向一揆が起こる。

 

今山の戦い 九州地方では大友宗麟と竜造寺隆信が戦う。九州6カ国を支配する大友氏に、守護代であった竜造寺隆信が勝利する。これを機に、竜造寺隆信は九州地方で頭角を現していく。

1571年 伊勢長島一向一揆 織田信長、一揆衆に敗れる。

 

比叡山焼き打ち 織田信長、誰も手出しする事のなかった宗教的聖域とも言える比叡山延暦寺を焼き打ち、徹底的に殲滅する。

 

中国の覇者、毛利元就が死去。

 

関東の覇者、北条氏康が死去。

1572年 三方ヶ原の戦い 徳川家康が武田信玄に戦いを挑むも惨敗。

敗走する家康は恐怖のあまり馬上で脱糞したと噂されている。

1573年 足利義昭が本願寺、浅井氏、朝倉氏と組んで打倒織田信長を掲げ挙兵するも信長は浅井、朝倉氏を殲滅する。

足利義昭も追放され、室町幕府は滅亡した。

1574年 織田信長、伊勢での一向一揆を無事平定する。
1575年 長宗我部元親、土佐一国を支配する。

 

長篠の戦い 織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼が戦う。この信長は戦で鉄砲を使用し、革命を起こした。織田・徳川連合軍の勝利。

 

織田信長、越前での一向一揆を平定する。

1576年 織田信長、根来、雑賀での一向一揆を平定する。
1577年 織田信長、中国征伐の為に羽柴秀吉(豊臣秀吉)を中国へ派遣する。
1578年 三木城の戦いにて羽柴秀吉が播磨の別所長治を滅ぼす。

 

耳川の戦い九州地方では島津義久が大友宗麟に勝利。九州の半分以上を支配していた大友氏はどんどん弱体していく。

1579年 毛利氏に従っていた宇喜多直家が織田信長に降る。
1580年 石山本願寺の顕如、織田信長に降伏し石山本願寺を明け渡す。
1581年 鳥取城の戦い 羽柴秀吉が鳥取城を兵糧攻めする。着々と中国地方を攻略し、毛利氏を追い詰めていく。
1582年 高遠城の戦い 織田信忠(信忠の嫡男)が仁科盛信(武田勝頼の弟)の高遠城を攻め、勝利する。

 

天目山の戦い 織田軍と武田勝頼が戦い、織田軍が勝利。武田勝頼は自害、武田氏は滅亡。織田氏は甲斐、信濃を支配下に置く。

 

天正伊賀の乱 織田信長と伊賀の侍達の戦。忍びの里である伊賀の地を信長が攻めて勝利、伊賀の地を支配下に置く。

 

本能寺の変 織田信長が家臣の明智光秀に謀反を起こされ自害する。

 

備中高松城の戦い 豊臣秀吉が高松城を水攻めにて攻略。本能寺の変で状況が一変した為、秀吉はここで中国攻めを中断し、毛利氏と和睦して明智光秀の討伐へ向かう。(中国大返し)

 

山崎の戦い 羽柴秀吉と明智光秀の戦。明智光秀は秀吉と交戦した後に逃亡、道中、民に槍で突かれてこの世を去る。

 

清洲会議 織田信長の後継者を決める会議が織田家家臣たちによって行われる。信長の孫の三法師が跡継ぎと決まる。この後、織田家は信長の頃の勢いを完全に失い、秀吉に仕えるいち大名となっていく。

1583年 徳川家康が甲斐を攻略する。

 

賤ヶ岳の戦い 織田信長の後継者をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が戦う。羽柴秀吉の勝利、柴田勝家は自害する。これを機に秀吉の権力が確固たるものとなっていく。

1584年 小牧長久手の戦い 羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄連合軍の戦い。戦自体は家康が勝利したが、その後の調略により秀吉は信雄と家康を屈服させているので、実質勝利したのは秀吉。

 

沖田綴の戦い 九州地方では島津義久が竜造寺隆信と戦い勝利、竜造寺氏を降伏させる。島津氏は九州の大半を支配下に置く。

 

長宗我部元親、四国をほぼ統一する。

1585年 四国征伐が行われる。秀吉が四国の覇者、長宗我部元親を降伏させる。

 

秀吉、関白(天皇の補佐役。事実上の公家のトップの地位)となる。

 

人取橋の戦い 伊達政宗、反伊達政宗連合軍(蘆名氏・佐竹氏・畠山氏他)に勝利する。これを機に伊達政宗は奥州で勢いを増していく。

1587年 九州征伐が行われる。秀吉が九州の覇者、島津義久を降伏させる。

 

豊臣秀吉、キリシタン禁止令を出す。

1589年 摺上原の戦い 伊達政宗、蘆名義広に勝利する。これで政宗は奥州の半分を支配下に置き、奥州の覇者となる。
1590年 小田原攻め 最後まで秀吉に対抗し続ける北条氏を大軍を率いて攻める。北条氏は滅亡。

 

奥州の覇者、伊達政宗は北条氏と組んでいたがギリギリのところで秀吉に降伏した。

 

これで秀吉に抵抗する大名がいなくなり、ここに秀吉の天下統一が成った。

 

奥州仕置き 豊臣秀吉、豊臣に反抗していた奥州の大名達の領地替えや領地の召し上げを行う。
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大崎・葛西一揆 秀吉の奥州仕置きに不満を持つ者たちが一揆を起こす。一揆の黒幕は伊達政宗。

1592年 文禄の役 日本を統一した秀吉は海外へと目を向け、明(中国)の征服を夢見る。最初のステップとして朝鮮へ出兵する。
1593年 朝鮮での戦が上手くいかずひとまず停戦、和睦の交渉が開始される。日本へ兵を撤退させる。

 

豊臣秀頼(秀吉の子)が誕生する。秀頼を豊臣家の跡継ぎにしたい秀吉は跡継ぎとしていた豊臣秀次を邪魔者とばかりに追いやっていくこととなる。

1595年 豊臣秀次、秀吉に謀反の疑いをかけられるなどし、高野山にて自害することとなる。
1597年 慶長の役 和睦の交渉が上手くいかず、再び豊臣秀吉は朝鮮に兵を送る。
1598年 豊臣秀吉、死去。

これにて朝鮮出兵も中断。日本へ兵を撤退させる。

1600年 関ヶ原の戦い 東口・徳川家康、西軍・石田三成に分かれ、全国の大名達を巻き込んだ大戦。徳川家康率いる東軍が勝利し、石田三成は処刑される。実質、徳川家康の天下となる。豊臣家の立場が段々と弱まっていく。

 

それぞれ120万石を領していた上杉氏、毛利氏は西軍に味方していた為、領地をおよそ4分の1も取り上げられることとなる。

1603年 徳川家康、征夷大将軍に任命され江戸に幕府を開く。名実ともに天下人となった。

 

これにより豊臣家は天下人の立場を完全に失い、摂津・河内・和泉に約65万石を領するのみの一大名へと転落する。

1614年 大坂冬の陣 徳川家康が豊臣家を潰しにかかる。徳川軍が大坂城を攻めるが、この戦は和平を結び終結する。
1615年 大坂夏の陣 大坂の二度目の戦では徳川家康の完全なる勝利。秀頼と淀殿は自害、豊臣家は滅亡した。

 

これ以降、徳川幕府のもと約300年平和な時代が続いていく。

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以上、戦国時代の歴史の流れをザーッとまとめた年表でした!

 

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